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Deepthink for tomorrow.

迷ってる、悩んでいる人へQronosの「机上の空論」 

幸せになる勇気はあるか? Vol.5

Vol.5です。

 

高校卒業後の私。精神との闘い

 

高校卒業後から色々あったにはあったのですが、その生活は高校の延長みたいなものだったので簡単に書いておきます。

 

高校卒業後、浪人をさせて貰えなかった私は「就職優先だ」と言われ、仙台の専門学校に通う事になりました。

学校は私の意志では決めていません。

マンガの事だけでなく哲学的な事だとか社会的な事を学びたいと思っていたのでどうしても大学に!と言ったのですが、ダメでした。

専門学校でいいか・・・という事にはなったのですが、

私が東京に拘りすぎた為、少しそこでも争いになりました。

「盛岡にも学べるところがあるぞ」なんて言われたのですが、地方なんかではダメだと思っていました。

(東京への憧れはありませんでしたが、どうせ就職できる会社が東京ばかりになるのなら、少しでも早く街に慣れてしまいたいという想いがありました。)

結局その間をとって仙台の学校になったのですが、半強制的に入学という事になったので納得はしていませんでしたね。

学科も私の嫌いな3DCGを扱う学科。嫌でした。

頑張って通うもゲーム・アニメ好きの人ばかりの環境に馴染めず。

周りの人間がオタクだろうがなんだろが、学食で一人になるというのは辛いものです。

割と頑張って話しかけたのですが、ある瞬間に

「このままで行ったら媚びたまま生きる事になりそう・・・・!」なんて思って、

そこからは教室で一人勉強してるフリをしながらカロリーメイトの毎日でしたね。

 

クラスメイト中には病んでいる人が多かったですねえ。

超アニメ好きか超ゲーム好きか病んでるか。

「どうして進学校出身でここに?」とよく聞かれましたが、

素直に答えるたびに「実は俺も、私も・・・・」と悩みを抱えている人がボロボロ出てくる。

ああネットで色々やってる人ってこんな感じなんだなぁ。

ただ、同じ穴のムジナみたいにされるのは辛かったすね。

自分は他の人とは違うと思っていましたから。

LINE交換しよ!悩みがあったら私に相談してと言って話しかけてきた女の子がいましたが、何も話しませんでしたね。

辛いよね。辛いよねと、傷を舐め合って生きる事が辛かったからです。

それよりだったら自分一人になっても生きられる方がいいと思ったのでした。 

それにその子はやたら精神薬に詳しい。

薬を否定する私からすれば、相談しても解決法が薬になるだろうという不安もあったのでそうしました。

 

しかし帰っても学生寮だったので生徒だらけでリラックスできない。

結局高校の時と同じように、ご飯が出るのにコンビニでご飯を大量に買って・・・という生活が始まりました。

そこからの流れは殆ど一緒。

休みすぎて、冬に休学するという事になって、実家に戻り、母親に連れられてクリニックへ行くことになりました。

高校の時、土壇場で進路を切り替え、ある程度やりたいことを理解してもらえたので、わざわざ人に隠す必要が無くなっていました。

高校の時に一回でも受診していればという後悔もあったので行くことにしました。

そういう意味では不幸中の幸いでしたね。

クリニックで何度か問診やテストをした結果。「神経衰弱」と診断されました。

衰弱していましたね。学校から私生活まで気を張って頑張りすぎました。高校の時と変わっていません。

薬を処方されましたが、何も信用していませんでした。

要は気持ちだと。そう思っていたので薬には頼りませんでした。

そこからどうしようかとなって、

何もする事無いなら時間を使って運転免許くらいとっておけと言われて通う事になりました。

最初はちょっと嫌だったんですけどね。

でも取得してからの運転は楽しかったですね。

家族と一緒だったし好きなところへ行けるので。

ただ、そこで楽しくなって「病が治った」と思い込んでしまった。

そのまま春になって私は「復学」を選択しました。

精神病になったのは学生寮が悪かったんだ。

ビジネスホテルをそのまま利用しているので、狭いし隣はビルで日も入ってこないし精神衛生上良くないという事で納得しておきました。

完全一人暮らしを希望した私でしたが、お金の問題と「お前朝起きないだろうし生活出来ないだろ。あんなに散らかして」と言われ却下されました。

という事で寮を日当たりの良いところに変えての復学に。

 

どこでも結局一緒でした。

日が入って来る事で、朝はそれなりに気持ちよく起きられましたが、大浴場が一緒という事でなんか色々ダメでした。

昔から友達と温泉に入る事にも抵抗があったんですよね。性的な悩みが大きかったです。

全て一緒でしたね。変わった事と言えばようやくお金を借りて自分用PCを買えたことくらいですかね。

ただ、PCがあるだけで勉強は全くでした。何にも出来なくなっていましたね。

留年したことで自分の方がちょっとだけCGを知っているからって事で図に乗って、

先を行かねばと思ってまた頑張っていましたし。

同じく交友関係もダメでしたし。

というか二年目のクラスの人間が酷かったですね。結構ダメな人間が多かった。

一番ひどかったのがゲームに40万くらい課金したという人ですね。

すごく太っていたんだけれどすぐに彼女が出来ていましたね。

それに取り巻きの中心人物的な存在でした。

だけれど、私より先に学校に来なくなりましたね。

私と何ら変わりません。

少し1年目より頑張ったつもりでしたが、ダメでした。

 

酷い事に出席番号2、3、4、5、6、が全員学校に来なくなりましたね。

自分もその中に入っていましたが、衝撃でしたね。こんな事あるんだ。

恐怖症は酷くなるばかりで何も解決しませんでした。

お金をかけて何にも得られませんでした。

かかったお金だけでも早く親に返したいですね。

 

すみません適当に書きすぎました。分かりにくいですね。

とにかく高校よりもっとダメだったという事だけ理解してください。

 

 

 死

 

私が高校一年生の頃のお話です。

1月2日。

親戚が大勢集まって子供たちがワイワイ遊んでいる中、

私は全校の前で発表するためのプレゼンテーション用スライドを一生懸命作っていました。

家にPCが無いので短大生の姉のPCを借りていました。

その姉は私より休みに余裕があるとの事で、大学の友人と泊りだと言って正月早々遊びに行っていました。

それを快く思っていなかった母親。いつもの事ですが、かなり怒っていました。

「もうあいつは家に入れない」

大学生になってもこんなに自由がないんだなと、私はガッカリしました。

 

我が家は言わば親戚が集まる「本家」でした。

父母は特にその辺が真面目なので、家の手伝いをせずに外で飲んでいる姉に激怒していたのでした。

姉も姉で、自分がやる事に口を出してくる親に対して恨みのような感情を持っているようで、昔からその事について文句を言っていましたね。

姉弟なのでその辺の愚痴はかなり話が合うんです。

姉は「感謝はしてるけど子供の事に介入しすぎ」と言っていました。

その頃の私はかなり同感でしたね。

なので私は手伝いを頼まれても姉を恨んだりはしていませんでした。

 

しばらく作業をしていると姉が帰って来たようです。

母はリビングを出て、帰ってきた姉に説教をする為に、待ち伏せをしました。

そして、離れた部屋へ姉を連行。

 

数十分後。母親と泣く姉がリビングに入ってきました。 

「おばあちゃんごめんなさい」という声が後ろから聞こえてきました。

酒を飲んで人の家に泊まったという事は前日メールで届いていたので

それを知ったおばあちゃんがとても姉の事を心配していたのでした。

おばあちゃんは寛容でした。分かればいい。そんな感じで姉の事を宥めていました。

姉は半べそのまま部屋に戻っていきました。

 

その後。作業を続ける私におばあちゃんは話しかけてきました。

「学校楽しいか?」

私は上手く行っていない事を隠すため、「うん、楽しい」と嘘を吐きました。

楽しいには楽しいですが、やはり何かが行き詰っているという感じがしていたので。

 

ただ、その隠した気持ちも、おばあちゃんに見透かされていたようでした。

「まんつ(まず)勉強でも何でもコツコツとやっていけば上手く行くからね。お茶っこ飲むか?」

気付けば4時間ほど休憩なしで作業していたことに気が付きました。

せっかくなのでお茶を淹れて貰いました。すこし甘かった。

その発表というのは、再生可能エネルギー発電に関する発表だったのですが、

おばあちゃんのその言葉のお陰で「塵も積もれば山となる発電」というものを思いつき、

シンプルながらこれが全校の前で大うけしました。

 

夜。子供達もいっぱいいるので一緒にはしゃぎつつ、正月番組を見ていました。

予定では明日下宿に戻る事になっていたので、今PCを借りられるうちにスライドを完成させる必要がありました。

「いとこ見送ったらまた始めるか」そう思っていると。

「Qronosちゃん、明日帰るの?」とおばあちゃんに聞かれました。

「うん 午後には帰るよ」

「じゃっ さ~い(これはしたり的な)お年玉あげられねっじゃ」

「いやあいいよまた今度で!」

「いや さ~い・・・・(姉)ちゃん、明日銀行開いてるか分かる?」

「うーん・・・いや3日だから うーん分かんないな開いてないかも」

「い~や・・・・・」

「いやいいよ!お父さんかお母さんに渡してくれるだけでも全然!俺は急いでないから」

「じゃぁ~・・・・ごめんねぇ・・・・」

 

 

翌日朝。

昨夜スライド完成の為2時くらいまで頑張っていたので、9時になってもスヤスヤ眠っておりました。

すると、中学生のいとこが私の身体を揺すって起こしてきました。

 

「Qronos君、朝だよ」

 

 

ではありませんでした。

 

「Qronos君起きて ・・・おばあちゃんが息してないって」

 

時刻は10時過ぎ。

なんて質の悪いジョークだと思いました。

一体どの親がこんな事言わせた!?

怒りかけていとこの顔を見たのですが・・・その表情からそれがどうも冗談ではない事が分かりました。

私は混乱していました。

部屋を出ると電話を掛けながら壁に手をつく叔父さんがいました。

「うん。おばあちゃん死んじゃった・・・(笑) え? おばあちゃん死んじゃった・・・(笑)」

叔父は半泣きでちょっと笑いながら悲しい事を言う人でした。

「おんばあちゃん」「おんばあちゃん」と寝室から父親の声。

完全に現実でした。

そこに私と同じように起こされ寝ぼけながらビックリしている姉が来ました。

私やいとこに目で何かを聞こうとしているようでした。

 

そこから寝室に入ったのですが・・・。

おばあちゃんが眠っていましたね。普通に寝ているようでした。

震災からまだ一年経っていませんでしたからあの写真のことがまだ頭にありました。

ただ、写真とはまた違う。スッと息を引き取った感じだったので生きている感じがするのです。生きているんじゃないのか。触ればすぐに分かると思いましたが、触れられませんでした。

姉は号泣しながら父とおばあちゃんを呼んでいる。

父はどこか映画っぽく、起きない母親を起こそうとしていた。

叔父は「はぁ。ダメ。完全に止まってら。うん。もうダメ。」と電話中。

中学生のいとこはかなり落ち込んだような雰囲気でした。

 

私はというと・・・何もしていませんでした。

泣いていなかった。ちょっと「悲しい」が分からなくなっていた。

ただ、その皆の様子を、意地悪して寝たふりをしているおばあちゃんを見つめていた。

 

数分後。母親に連絡をしろと言われ、私が連絡をしました。

「起きたらおばあちゃん息してなかったって・・・」

「はぁあ!!?・・・分かったとにかくすぐ戻るから あぁ~(ブツッ)」

確か母は小学生の弟のスキー練習について行っていた様な。

戻ってきた時、弟は可哀想なくらい大号泣をしていましたね。

自分がこんなにも涙が出ていないのに弟は純粋だなと思って見ていました。

母も涙目。自分が悪い人間のように思えてきました。

 

妹二人が別の場所でスキー練習に出ていたので、その二人を迎えに行くから一緒に来いと母に言われました。

その車中で母はこんな事を言っていました。

「失敗した・・・おかしいと思ってたんだ・・・やっぱ昨日のうちに無理してでも病院に連れて行けば良かった・・・」

 

おばあちゃんは明らかにいつもと違っていたそうです。

おばあちゃんは孫にお年玉をあげないおじいちゃんに怒っていたそう。

「なしてみんなさ あげねのすか」

おじいちゃんは万札しか持っていなかったのであげられなかったそう。

その夫にため息を吐いて、おばあちゃんは息子夫婦に借金をしてまで孫にお年玉をあげていたそう。

しかし、私のところで借りたお金が切れた。

自分の先が長くない事を知っていた。だからこそすぐにあげようと思ったが、私が翌日帰ってしまうからお年玉を用意できないという事であんなに焦っていたのだと。

その後おばあちゃんは珍しく大酒を飲んで酔っていたという。

それがおかしいと思ったのだと。かなり悔しそうに言っていました。

私はうん、うんと相槌を挟みながら、だまって外を見つめていました。

あれが最後の会話だったのです。

まだお年玉貰ってないよおばあちゃん。

 

おばあちゃんは糖尿病など様々な病気を患っていて寝る時に酸素マスクをしなければ寝られなかったそうだが、この日に限ってそれが外れていた。

朝になって父と叔父が皿を洗いながら、イビキをかいていない、静かすぎる母親の事が心配になったそう。

父が声を掛けて確認してみたら既に冷たくなっていたという事でした。

 

そこからはあっという間でしたね。

各々帰った親戚たちがまた集まっていて、泣いていて、来たばかりの子供たちは一度部屋にいてと言われて、子供をあやしながら兄妹と今朝の事を語って、リビングに呼ばれて皆で行くと消防の人が来ていて、AEDが「ショックは不要です」と言っていて、死亡診断書が書かれていて、何も知らずに戻ってきた子供たちが号泣していて、布団にくるまれたままおばあちゃんが部屋から運ばれて、 我々はピアノを移動させて、いつの間にかおばあちゃんは棺桶に入っていて、そのまま夜になって、大人は酔っぱらいながら話をしていて、おじいちゃんが一番酔っていて、思い出話に花が咲いて、おじいちゃんが下ネタを連発して、叔父がまた悲しく笑いながら「ばあさん、このじさま何とかしてくれ~」と言っていて、私は話しながら何となく自分が大人になりかけているような気がして、姉と二人で手紙を作って、翌日皆で雪かきをしながらふざけて、知り合いや知らない人がどんどん来て、姉が手紙を読んだが何を言っているのか分からないくらい号泣していて、おばあちゃんは詰め物や化粧をされていて、もっと小さいころは爆笑していた住職の「喝」を聞いても笑えなくて、「ああああおばあちゃんが納まっちゃった・・・・」と叔母がパニックになっていて、出棺して、「あっ!!あっ!!ダメ!!!ダメーーーー!!!!!!!」と叔母達が叔母の最後を惜しんで声を上げ、いつの間にか骨を拾っていた。

 

私は初七日を過ぎても泣かなかった。

素直に泣けないまま、本当の事を言えないまま、祖母と別れました。 

 

 

Vol.6に続きます。

幸せになる勇気はあるか? Vol.4

Vol.4です。このページは13500字を越える文章量(400字詰め原稿用紙30枚以上)ですので、時間に余裕のある時に読むことをオススメします。

 

東日本大震災 病いの始まり 絶望の始まり

私が高校受験をした日は2011年3月9日でした。

東日本大震災の僅か二日前です。

その日試験中に大きめな地震が来ていました。いわゆる前震ですね。

ゆっくり大きく揺れる気持ち悪い感じ。 震度は4か5弱くらいだったかな?

試験官は教室の扉を開けましたが、受験生に机の下に隠れるよう指示はしませんでした。

割と揺れが続いていたような気がしますが、

「あっ収まりましたね」と、軽い感じで試験は続行されました。

 

書いてなかったかな?と思うのでお話しします。

私は岩手県出身でして、津波被害を受けるような場所には住んでいなかったのですが、同じ県民としてあの震災を経験しました。

 

3.11地震発生当時、私は受験も終わったので兄妹と一緒に手作りのチェスをして遊んでいました。 

すると突然姉のケータイが聞いたことも無いアラーム音を上げて鳴り出しました。

エリアメールですね。

なんだなんだと言ってると、いきなり壁がミシミシと音を立て、家が大きく揺れ出しました。

その頃はキャーキャー笑いながらテーブルの下に隠れた記憶があります。

大きな雷や局所的豪雨でテンションが上がるみたいな感じですかね。

 

しかしその後、ハイテンションのまま「今の震度は!?今の震度は!?」とテレビを点けたんですが、画面に表示された情報に愕然としましたね。

まず震度がでかすぎる。大津波警報の範囲が広すぎる。

突然訪れるんですね。そういう時って。タイミング的にも最悪です。

そこから津波到達まで数分あったと思いますが、本当に津波があそこまで来て、車で逃げても間に合わなくて、

ミニチュアみたいに全部流される映像を見て、行った事のある街がそのまま海になっていて

何でしょうかね。人を殺してしまった後ってこんな気分になるのかなって思いました。

映像はかなりしっかり覚えているんですけど、気持ちを言葉に出来ないというか、感情を持って映像を見ていたのか全く覚えていないんですね。

その後の事はもう何も憶えていません。

 

実はその翌日は中学校の卒業式でした。何とそのまま決行。

停電しながらの卒業式でしたので、コートやジャンパーを着ての卒業式でした。

交通の事情で来れなくなった人もいました。

私は文化祭で全校合唱の指揮者をやっていた為、その卒業式でも指揮を頼まれたのですが・・・。どんな気持ちだったとか皆が泣いていたかとかどんな表情だったかとかそういう事は何も覚えていません。

実際卒業証書を貰ったかも記憶していません。

ただ、振る腕が寒かった。

 

そこからですね。

記憶が断片化し始めたのは。

 

ラジオは無機質な話し方ばかりで、緊急地震速報はバカみたいに来るし・・・

自分が避難所生活をしていたらもっとヤバかったんじゃないかと。

電気が復旧してからは毎日ACのCMばかりが流れていて不気味だったし、ニュースや原発の事ばかり。避難所生活をしていない私でさえ自粛自粛でストレスが溜まっていたのを覚えています。

 

まだネットツールを何も持っていなかったんですが、その時ネットってどんな感じになっていたんでしょうね。 

偽善だなんだという言葉が飛び交っていたんでしょうか。 

 

人って何にも力がないんだなって思いました。

SNSで不謹慎な発言してる人間に怒っても意味がないな。

何もなかったやつが互いの論の揚げ足を取り合ってるのって意味ないな。

こういう時だけ目を覚ましたように感謝の言葉を遺すって意味ないな。

何をしてるんだろう。

「頑張ろう日本」も都合いいだけで意味ないな。

そんな感じでした。

 

いつの事だったでしょうか。高校に入る前です。

父親津波関係、沿岸地域の写真が載った雑誌を買って来たんです。

祖父と父がそれを見ながら何かを話していたのをぼんやり覚えています。

各々が寝始めた頃、私は風呂の順番を待ちながら小さな灯りの中で歯を磨いていたかなと思います。

その最中、その父が買った写真集が目に留まったのです。

 

気付いたらそれを無意識に開いて、泣いていました。

体育館に毛布やブルーシートでグルグル巻きにされた何かかが大量に並んでいるというか無造作に置かれている写真。

そこから素足が出ていました。泥が乾いて薄く汚れ、硬直している老いた足。

泥の混じった瓦礫の中から腕がというものもありました。

何処か分からない田んぼのようになった場所で泥水に埋もれ、背中側だけが露出している遺体の写真。

雪と瓦礫の中で一人で泣く人。

例えば、自分の娘をこの中から捜すのです。

例えば、自分を見つけてもらうのです。

出来れば、そんな写真と出会わない人生の方が良かった。

史上最悪の災害を、生まれた土地で経験などしたくはなかった。

 

私は家族も家も失くしていない。

けれどこの時既に心の中はカラになっていました。

今までの価値観が崩落。崩壊。

中学時代、音楽室に貼ってあった「建設は死闘!崩壊は一瞬!」という言葉を思い出しました。

それが本格的な病いの始まりでした。

 

 

 

トップクラスの完璧主義者

 

高校は無事合格。

私は下宿生活を始め、半一人暮らしになりました。

高校時代の想い出はあまりないんですよね。中学時代より憶えていない。

 

記憶の中の自分は、散らかった部屋で一人泣いているだとか、

ご飯が出るのにわざわざ仕送りのお金を使って食べ物を大量に買って引きこもって食べている。

絵を描こうとして全く描けない事に焦りを感じ、どんどん鬱になっていく。

そんな感じです。

普通先輩後輩だとか友人との思い出がいっぱいあるもんでしょうが、そういうのは特にありません。

あるにはありますが、文章にするほどの想い出もない。 

震災の事だとか恋愛だとか人間関係、生活だとか将来の事だとか・・・悩み全てを一人で抱え込んでいた3年間でした。

残念です。

 

 

入学初めは爽やかに起き、綺麗にバッグに物を詰め、友人と朝食を摂り、進研ゼミも嫉妬するくらいの充実感で学校へ向かっていました。

「高校生活を成功させてやる!」

 

しかしそんなものは一時の気の迷いでした。

二か月もすると朝は7:40起きに。準備に時間をかけ、月日が流れるとともに遅刻することが増えていきました。 

 

起きていても一時限目が終わるころに登校したり、12時に登校したり。

成功どころか、学年でもトップクラスの問題児として噂されるようになってしまったのです。

 

 

ある朝は、朝起きると7:50。かなりギリギリ、というかもはやアウトです。

「・・・休んでしまおう」と思うようになります。

何故そう思ってしまうのか。

甘えと言う見方もまあ正解です。

私のようなタイプは一回でも甘やかしたらそこで終わりですから。

精神が病んでいてもパッと見健康そうですからね。他人なら絶対サボりだと思うはずです。

 

しかし問題はそこじゃなかった。

何が問題かと言うと、「ああ遅れた。まあいいか。行こ」ではなく、

「遅れた。休んでしまおう」という考えになっていったところ。

 

私は馬鹿みたいな完璧主義者だったのです。

理解できないかもしれませんが、完璧主義だと、

「完璧にやって来たことが崩れた」と思った瞬間諦めてしまうんです。

ノートの最初の方は丁寧に使うだとか、綺麗な消しゴムの角を大切にしたことはありませんか?

あんな感じです。

普通汚くなっても同じものを使い続けますが、

完璧主義だと、ノートや角が汚くなった瞬間に他のモノに変えてしまう

そんな面倒なやつだったのです。

 

それが祟って、例えば「絵を毎日描こう」なんて意気込んでも継続することが出来ませんでした。

完璧主義なので初日は完成するまで、納得が行くまで絵を描こうとし続けるのです。

そしてもう次からはない。 

学年トップクラスの問題児はトップクラスにクソ真面目だったのです。

現実、約束を達成できなかった時は誰よりもそれを気にしていましたから。

無責任どころか責任を背負いすぎて潰れるタイプ。

燃えやすく、燃え尽きやすい人間だったなと今になって思います。

ですから、担任の教師と「明日必ず7:30に職員室に来るように」なんて出来もしない約束をして、前日緊張しながら10:00には布団に入る事が何度もありました。

精神が参るのも無理ないです。

 

面倒な事に、前日頑張ったものですからその約束は翌日ちゃんと達成できてしまうんです

そしてもっと悪いことに、それで「変わる事が出来た!」なんて思ってしまうのです。

「明日からも続けます!」

当然その情熱がいつまでも続くわけがありません。

出来ない事を無理に約束し続けて、完全に私はおかしくなってしまったのです。

そうして約束を交わした人間は、私への評価をどんどん下げていった。

それを食い止めるためにまた約束をする。

「今度こそ!」「次こそは!」

同じことの繰り返しです。

私は数年間このループから抜け出せず、苦しめられました。

私に対する周りからの信頼度は、「0」を通り越して「マイナスの世界」に突入していました。

 

入学した頃も友達を作ろうと必死になった

新しい友達作りが不慣れだったこともあり、学校で一人になる1分1秒が辛かったですね。

新学期に友達出来なかったらずっと孤立してしまう。

そうやって必死になったおかげで少数のクラスメイトや部活の仲間とは仲良くなれましたが、完全に心が蝕まれていました。

無理して仲良くなった友達との付き合いは、その先も無理にやる事になるのです。

 

 

小心、傷心、焦心

自分が悪いんですが、一つ傷ついた事があります。

6月頃だったかと思います。

早々に鬱になっていた私。燃え尽きていたんですね。

でも学校に行けば頑張ってしまっていました

その分帰ると何もできないのです。ゴミや洗濯物が溜まっていました。

元々生活力が無かったのですが、下宿でご飯は出るんだし一人暮らしになったら洗濯くらいはやるでしょう。

しかし洗っても干す気持ちになれない。

普通では考えられないかもしれませんが、そうなってしまう。

頑張って認めようとしませんでしたが、どう考えても病気でした

 

放置していた洗濯物ってだんだん臭ってきますよね?

着ていくものが無くなったので前日夜中に干したのですが、朝になっても乾いていなかった。

ドライヤーで焦って乾かして学校に行きました。

梅雨の時期。湿度が高いばかりか走って登校した為、蒸れて胸元から最悪な臭いがしていました。

 

「臭っ!」

授業中に隣のチャラい感じのいわゆるサッカー部男子がハッキリそういいました。

そうして教科書で自分の周りを扇ぐ。

後ろの席の奴に「臭くね 臭くね」と小声で言い、そいつも顔をしかめて「マジだマジだ」と言う。

視界に入ってしまったのですが、完全に私の事を指差していました。まあ私以外にいないんですが。

仕舞いには思い切り席を立って窓を開ける。

心臓がギュッとなりました。冷や汗や脂汗。色んな汗が出ました。

おどけて「すまねえ★ 本人が一番臭いわ(笑)」なんて言えない。

隣の奴は何にも悪くない。

けれどクラスメイトのいる前でそう言われた私は、ただただ傷つきました

イジめられる人ってこんな気分なのか・・・と知りました。

完全に思考が停止するんですよね。

 

 

高校に入って部活仲間と慣れ始めたある日。

「被災地ボランティア」の募集の紙が各教室に貼られました。

私は、それを見て即「行こう」と決断しました。そうして申し込みもしました。

この目でその現実を見る必要がある。この手で助ける必要がある。

そういう想いで参加表明をしました。

 

しかし、その当日。

私は朝早く起きて、登校せずに引きこもっていました

何故かは憶えていません。燃え尽きとも少し違うような。

気付けば集合時間が過ぎていました。

事前に実家に電話をして長靴や軍手などをもらっていましたし、

ジャージを着て完全に出る準備ができていたのに出られない

 

そう思っていると、部屋の扉をドンドンと叩く音が。

なんと部活の仲間がわざわざ学校から走ってきたのです。

という事はつまり、バスが、参加者全員がまだ自分を待っている。

友達や学校から電話も架かってきていました。

その時でした。私が着信やノック、インターホン恐怖症になったのは。

その日、結局私が部屋から出る事はありませんでした。

 

夜。

父親から電話がかかってきました。

両親の電話に出ないと、わざわざ実家から一時間かけて下宿まで押しかけてくるのです。

宿主のおじさんが合鍵を持っているし、外に逃げてもずっと部屋で待つので、対面は避けられません。

なので、その電話には出ました。

父親ものすごく怒っていました

何故そこまで怒る必要があるのかというくらい怒っていましたし、

何か月か経った後でも父親はこの事を引きずってわざわざ人に言いふらしていました。

私が不真面目で不良で、寝坊をし、人を待たせ、人の期待を裏切るような最も重い罪を犯したと言うのです。

私はそこから、親から着信があっても全く出られなくなりました

 

 

 

2年の頃から特にそれが酷くなっていきました。

鬱のまま朝を迎え、寝たふりをし、宿主のおじさんに鍵を開けられ、散らかった部屋を見られる。

「先生から電話が来てる」とウンザリした顔で言われ、「あっハイ!」と焦って起きたかのような演技をし、下に降りて電話に出る。

 

今でも忘れられません。

「もしもし・・・おはようございます」と

電話に出た私の耳に入ってきた最初の言葉。

 

 

 

「バーーーーカ」

 

 

女性教師からそんな事を言われるなんて思いませんでした。

「とりあえず授業出なくていいからすぐ職員室来い」

そう言われ私は心臓をバクバクさせながら学校に向かいました。部屋を出るまで2時間かかりました。

私はまたサボりだと思われ、職員室の圧力の中、

「明日は遅れません」と出来ない約束をするのでした。

 

 

引きこもりと出会い

 

昼食の時間に登校。 

「生徒の呼び出し」の放送が流れる。

その放送では課題の提出をしない人が呼び出されたりする事が多いのですが、

毎回私の名前が呼ばれるのです。 

その度学校中に私の名前が流れる。

それがほぼ私の日課になっていました。 

 

担任は私の親に「Qronos君は一度病院に連れていった方がいいと思います」という事を言っていたそうですが、

結局高校3年間私は一度も病院で相談しませんでした。

父親は「人の息子を病人呼ばわりする酷い教師だな」と思っていたそう。

「お前はあの女の先生と合わなかったんだな」

そう決めつけられていました。

それから行かなかったのには、私本人に「自分は鬱病だ」と認めたくない気持ちがあったからです。

鬱病になるなんて。きっと自分は甘えてるだけなんだ。

人に相談しなくてもその甘えさえ取り除いてしまえば解決する事なんだ。

わざわざ金を払うなんて勿体ない。その金があるならもっと美味しいものを食べる。

親や教師、病院にきっと自分の事を全て話せと言われる。

今まで言えなかったマンガの事も言う事になる。

性的な悩みを誰にも言った事が無いのに、その事も言わなきゃなくなる。

それくらいなら自分で解決した方がいいんだ。

私は頑なに「私は健康だ」と思い続けました。

そうして、「行動が変われば周りの人間もそういう事を言わなくなるのだから」と思い、

部屋を一気に片付け、洗濯もし、行かなくなっていた部活にも顔を出しました

 

 

また頑張ってしまいました。

しかし当時それが間違いだという事には全く気が付かなかった・・・。

自分を客観的に見ているつもりが、一人の世界に閉じこもって自分の事を考えているだけだったのです。

 

そこからはもうダメでした。

私は10日ほど学校を無断欠席。欠席するときは必ず連絡をしろと言われていましたが、電話などできません。10日間ずっっっとベットで寝ていました。

流石に節々が痛んできますが、どうしようもなかった。

復活するのにも神経をすり減らしました。

 

そうしてまた学校を無断欠席することがかなり増えましたね。

時々気をおかしくしたというか、

「このままじゃダメだこのままじゃダメだ」「痩せなきゃ」という想いで夜、夜中にランニングに出たり、

逆に散歩に出たかと思えばコンビニでポテチや美味しいプリンを買って食いまくったり。

最悪でしたね。食べるものも時間もおかしくて消化不良を起こしてましたし、

体は緩くなってくるわ肌が黒くなってきて友達に馬鹿にされるわで散々でした。

お金もかなり使いましたね。8割食費に使いました。

しかし、ちょっと楽しくもあるんですよ。何にも拘束されない感じが。

最悪な楽しみでした。気を付けた方がいいですよ。ほんとに。

 

当時持っていたのがガラケーで、画質や通信量が悪いんですが、

その分どれだけ動画を見ても通信制限になどなりませんでしたので、

ずっと動画を見ていました。

裏ビデオやピンク画像もその頃に見るようになりました。

しかし、性的興奮をして自慰行為という感じではありませんでした。

多分する事無いからとか、寂しさゆえとか、

心の病から来る自慰だと思われます。

中学時代と同じく禿げる事に関して酷く焦りを感じていたのですが、そこでも止める事が出来ない罪悪感に苛まれる。

いつまでも止められないという事で、中学時代よりもっともっと重い罪の意識がありました。

 

iPodtouchを買い、実家に帰った時に動画やアプリを一気にダウンロードし、見るなんて事もやっていました。

当時見ていたのは「京浜家族」ですかね。あの「鷹の爪団」とかで有名な蛙男商会のアニメです。いい話ですよ。 

「コギャルのコフィー」とかもありますね。

 

youtu.be

 

それからサカナクションに出会ったのもこの時。

Youtuberの瀬戸弘司さんっていますけど、あの人の動画に出会ったのもこの頃です。

アニメではみなみけを見て心に平穏が訪れ始めました。日常系アニメですね。

ファッション誌に何故か載っていた魔法少女まどか☆マギカが気になって見てみたんですが、

あまりに感動して「アニメを作るのもいいかもしれない」なんて思うようになりました。

他にも様々なアニメを知る事になりましたし、いろんな音楽アーティストも知る事になりました。好きなお笑いもかなり見ました。

画像加工や動画編集技術を身につけましたし、知らない事を一気に吸収しました。

少しマンガも買うようになりました。

おおきく振りかぶって だとか空が灰色だからを買いましたね。

 

ちなみにの話ですが、

アニメ映画とか教育テレビのアニメだとか

休みの日の朝にやってるようなキッズ向けの物以外で

初めて一人で見たアニメはけいおん!です。

中学生の頃に見ました。

やたら流行っていて気になっていたのもあったし、番組表を見たら、BSでやってるので、「今夜絶対見てやろう・・・!!」と意気込んで見ました。

AVを初めて見る男みたいに皆が寝静まった時間にそろそろと降りてきてイヤホンを付けてテレビで見る。

背徳感が尋常じゃなかったですね。13話だったかな?と思います。

確かその時期「初恋限定。」という週刊少年ジャンプのお色気マンガのアニメもやっていたかと思います。

もうエロ動画を見るのと変わらないですね。

この前この話を美容師さんにしたら珍しすぎると笑われました。

こんなこそこそしてアニメ見るやつもいないですよねえ。

 

 

迷い続ける私 崩壊する私

 

何度親が下宿に来たか分かりません。

母親に「教育の仕方がおかしい」とその時ハッキリ言った事があります。

これがまた後々問題を引き起こす事になるのです・・・。後日詳しく書かせていただきます。

「もう金輪際部屋に来ないで欲しい」というのが私の素直な気持ちでした。

 

気付けば私は3年生に。

問題は続き、新しい担任までもが下宿に来ました。

かなり問題児です。

一向に改善しない生活。

私の引きこもり体質、遅刻がとてもひどく、結局部活も行かなくなってしまったので

面談には担任どころか学年主任まで出てきてしまいました。

面談の回数も増えてきました。

それを見兼ねた親が、「下宿を引き払って実家から通え」と言い出しました。

私たちだけの個人面談の後の事です。

もちろん嫌でした。

ここで素直に「うん!」という人はいないんじゃないですかね。 

 

その進路に関してじゃない面談を終えた後。

「とりあえず今日実家に帰るぞ。乗れ」

父親は私に車に乗るよう言いました。

私は無性に腹が立ってきました。

小さいころから「お前は9月9日生まれで『救急の日』だから、消防士になれ」などと

己の願望をぶつけ、勝手に私のやる事を決めようとしてきた親に対する恨みが募ったのです。

「この歳でまだ言うか・・・!!!!」

そういう怒りがこみ上げてきたのでした。

 

生活は変えられるんだ。今一人で暮らす力を付けないとダメなんだ。

それに、実家に帰れば何があるか分かってる。

俺は自由を失くすだろう。絵も何も描けなくなるだろう。仕送り金も無いから好きな本も買えなくなるだろう。

いままでの生活が終わってしまうのだ。彼女もいる。気軽に会えなくなる。

全てにおいて都合が悪い。

 

私はそこでとうとう反抗的な態度を見せました。

無言で歩いて校門に向かい、下宿に帰ろうとしたのです。

父親は私の荷物の紐を思い切り掴み、止めてきました。

その力の強さとかしつこさがまた腹立たしいんですよね。

ストレス抑制型じゃなくもっとキレやすい子だったら間違いなくブン殴っていました。

私は舌打ちをして「帰るから」と言い荷物をグイと引っ張りました。

すると、父親はブチ切れ。

何て言ったかなんか覚えてませんが校舎前で大声を出し、

持っていたパンフレット的な厚みの冊子を地面にバンと叩きつけて、とにかく怒鳴ってきました。

これがまた酷いもんで、クラスメイトやら教師やら部活で来ていた生徒が普通に歩いているんです。

街中で大声を出しているようなもの。全員の注目を集めていました。

怒られている事よりも、私の父親がこんなに手足が短く、禿げている太った人間だと周りに知られた事が恥ずかしかったですね。

私はと言うと、ポーカーフェイスを崩さず冷めた目で父親を見ていました。

 

その実、対抗力を持っていなかったので反抗的な目をするだけに留まっていました。

詳細は覚えていませんが、結局その日は帰る事になりました。

翌日「あれQronosのお父さん?なんかすっごい怒られててビックリした」と言われ、心底死ねばいいと思いました。

後日「あんなに学校の前で怒鳴って悪いことしたなあ」と言われてその蟠り(わだかまり)は無くなっていきましたが。

 

結局下宿は引き払う事になりました。そして家から学校に通う毎日の始まり。

iPodtouchやケータイがあってまだ助かりました。

どちらも持っていなければ情報の格差がものすごかったと思います。

機械と言えども今の時代では大きな意味を持っていますからね。

ただ、機械が大嫌いな古い人間が親となると、そこがどうも上手く行かない。

本人たちがスマホを持つようになるまでいちいち干渉されていましたね。

心の支えと化していたのですが、朝起きると勝手に取られたり隠されたりしました。

その度殺意が溜まっていくんですよねぇ。

 

また母親の起こし方が最悪だった。

受験追い込みシーズン、冬場が特に酷かったですね。

朝5時。いきなり何も言わずにビンタをしてくる。

朝5時。いきなり何も言わずに敷布団ごとひっくり返してくる。

朝5時。いきなり何も言わずに頭部を蹴ってくる。

朝5時。吹雪いている日に大窓を全開にする。そうして布団を剝がしてくる。起きてもいないのにいきなりマイナス何度ですからね。

この母親の異常さも後日書かせていただきます。

私が今こうしている事にも関わってきますから。

 

そうやって実家から通わせられていたある日。

何があったか私は電車ではなく母親に車で送られて学校に登校しました。

たしか遅刻だったような。

母親が戻った後。私は誰もいない昇降口で足を止めました。顔を出すのが辛くなったのです。

私は靴を脱いだところで引き返し、校門を出てそのまま街へと歩き出しました。

もし捜索が入っても見つからないようにと、GPSを切断し、マナーモード、インターネットも切って音楽だけ聴けるようにしました。

9時から12時まで淡々と歩き続けました。

特に目的地を設定せず歩いていたのですが、土地勘がない為自然と彼女とイチャついた記憶のある盛岡城跡公園に着きました。

石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の歌碑がある所です。

私は黙ってベンチに座っていたのですが、状況的に啄木と全く同じになってしまいました。

しばらくして写真を撮った後、私はそのまま帰りました。

電話が案の定来ていたので、素直に盛岡城跡公園に歩いて行っていたことを言いました。

私が健常者なら絶対こんな事にはならなかった

こういう思い出があるから記憶の中の自分はいつも一人で泣いているんでしょうね。

 

 

私は常に自分の作品の事を考えてきました。

これを何とか形にしたい。しないままでは満足に死ねないだろうと。

いつしか「その為には美大だ」と思うようになっていました。

私の好きなラーメンズの二人が美大を出ていたせいでしょうか。

この思考が私を更に失敗させ、今に至らせました。

 

 

気付けば10月になっていました。

もう受験生は進路を最終決定していなければマズい時期です。

私は今までと同じく周りに「教師かな」と嘘を言っていたので、志望校は現実味の無い京大、関大、東北大・・・なんて所にしていました。

ただ、それがここに来てとうとう耐えられなくなったのです。

「いつまでこの思いを隠して生きるつもりなんだろう。」

行く気のない志望校を、やる気のない事をいつまで書くのだろう。

いったい私は誰のために生きてこんな事をやっているのだろう。

私は結局この3年間、夢に向かって何一つ歩むことが出来ず、

ただその場で立ち止まり、自分の思いを人に悟られないように隠し続けてきただけでした。

 

そうしてある日、私は決心し、志望校を大転換させました。

東京芸術、武蔵野美術、多摩美術・・・

アホでしょう。また、受かるわけないと分かってて書いたというのもアホです。 

ただ、当時の私には、周りに本当の事を言うのが精一杯だったという事だけ分かってください。

とにかく自分の意志で生きる道を変えたい

その為に必死でした

 

周りに美大に行きたいという事を伝えた時、何か諦めたように「頑張って」と言われました。

親を何とか説得して受験をさせて貰える事になりました。

しかし私立は当然不可。他にも国立大で美術が勉強できる所はいっぱいあったはずですが、何にも知らない私は東京芸大にのみ目標を絞りました。

一体その先どうするつもりだったのか。

冷静になって世界を見ず、よく考えないという事は怖いです。

 

東京芸大志望の奴はきっとセンター試験科目がどうでもいいと思っている。」

業者テストの結果でそれが丸わかりでした。

だからこそセンターで少しでも稼いでおけば有利になるんじゃないか。そう考えました。

私は全国の志望者の中で二番。他の志望校に関しては全て一番でした。

いかに実技一本で勝負しているかが分かりますね。

 

私は使う教科のみに絞って、残りの時間をポートフォリオ制作に費やしました。

普通は塾に通わないと無理らしいです。

実際ネットで色々調べようとしましたが、どう作ったらいいかなんていう情報は全然見つかりませんでした。 

訳の分からない作品ばかり作りました。その辺の中高生でも作れそうなもの。

 

高い画材を買いました。でっかいキャンバスも買いました。

「音楽を聴いて、その瞬間瞬間の感覚を手で描く」と言って

ブチューーッとアクリルの絵の具を手に付けてキャンバスに塗っていきました。

それを撮影してポートフォリオにしなければいけないので、友人にお願いして親のデジカメを貸してもらったり。

情報処理室で演劇のような事もしました。人に見せられるような大規模なものでは無かったので、わざわざ体育館を貸し切りにとかはしませんでした。

PCが必要で、音声、映像をプロジェクターで映しながらやるものだったので、都合が良かったんです。

時間があるときに情報処理室を占領してポートフォリオや映像を作っていましたね。

そこで他の学年の授業が始まっても、「大学に出す作品で使いたいのでいいですか」と後ろの席で制作を続けました。一生懸命な変人です。

完全にそこの学校の学生ではない感じでした。場所を貸してもらっているだけみたいな。

通りかかったクラスの友達二人が途中から興味を示してくれて、少し手伝ってもらいました。最初と最後のシーンで電話をしているんですが、その相手の音声の吹込みの協力です。

作品は出来上がりましたが、すっごくおかしな出来上がりでしたね・・・。

自分にしか出せない深みを作ろうとして話を複雑にした結果、

言いたいことがハッキリせず、内容が薄くなってしまいました。

詳しくは書きません。需要がもしあった場合だけ書こうと思います。

 

いやあ、一次試験は私の得意な文章作成だけだったから合格することが出来たんですが、

最終試験では作品の説明を終えて部屋を出た後、試験官全員が笑っていましたね。

それはそうですね。

一体何を言いたいのか、何がしたいのかサッパリ自分でも分かっていませんでしたから。

分かっていない事を伝える事は出来ません。思っていたより健闘しましたが不合格でした。

 

一次試験で落ちれば出られたのですが、パスしてしまったので

最終試験を受けるために高校の卒業式を欠席しました。

私は結局中・高とまともに卒業することが出来なかった。

離任式後も他の大学の試験が控えていたので、

別に真面目に受験する気も無かったのですが、創作する事くらいは続けようと思って、

図書室で気取って難しい本を読みつつおかしな絵を描いていました。

来年度の受験生がもうちゃんと勉強をしている中、

私服でこんな事をしていたので、もう疎外感というか場違い感、アウトサイダーが半端じゃなかったですね。

「あ、生きるのに大失敗したな」そう思いました。

(↓その時に描いていたものです。私の作品はとにかく何が言いたいのか分からないので、みんな困惑していました。私もその一人です。抽象画なんだという事で納得しておきましょう。)

 

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「行ける大学に行って、まず就職する。アートを始めるならそれからでも遅くないだろう」

と言われたのですが、

その時の私は一切聞かなかった。

もうどうしようもなかったですね。 

受験させてくれたし、お金も出してくれた親には申し訳ないと思っていました。

しかしまだまだ私は傲慢だった。この後も我を通し続けます。

 

もし私が地元の大学とかに行っていたらどうなっていたのでしょうか。

金銭的に安定さえ出来れば、その生活が幸せかどうかはさて置き、極端に不幸では無かったような。

そうなれば良かったのでしょうが、どの道私は途中で辞めていたでしょうね。

続けられなかったでしょう。就活すら出来なかったはず。

そういう人間でしたから。学校の問題じゃあない

高卒で就職しても同じだったでしょう。

仮に美大に合格していてもそうだった。

私の中の問題であって環境の問題では無かったからです。

 

 

長々と読んでいただき、感謝いたします。

次回、Vol.5では高校卒業後から現在に至るまでの事と、家族の事を書きます。

 

幸せになる勇気はあるか? Vol.3

Vol.3です。 

 

個人的な話 始まりの話 

 

なぜ社会人になった私が勉強を始め、こんなブログを書くに至ったのか。

何をするにも、ある程度動機があるかと思いますが、これに関しても私なりの理由があります。

「貴方との対話」と毎度のように書いていますが、ここで私個人の話をさせていただきたいと思います。

 

私が今こうしている理由。

まず「自分のしたい事をする為」ですね。

 

「したい事をする」と言うのは、自由奔放に見えて案外実践するのが難しいものです。

様々な誘惑や障害があるからかも知れません。

心が弱いのかも知れません。

 

私の場合、昔から八方美人的なところがあって、ある一つの物事に取り組んでいる最中でも途端に他の事がしたくなるという事が何度もありました。

他の人でも「掃除の最中やテスト前にマンガを・・・」なんてよくある話ですよね。

やろうとする気持ちを邪魔する悩みや不安もありました。

それがテストや掃除以外、つまり人生で起きると挫折の原因になってしまう。

 

今日はその挫折を乗り越えるお話です。

 

 

 

中学生の私 哲学の始まり 挫折の始まり

 

私の事を詳しくお話しします。

 

中学時代、私はマンガを描きたいと思っていたけれど、そう思っていることがバレるのが嫌だった。

「マンガやアニメ・ゲームなどは娯楽であって勉強しない奴がやるもんではない」と言われ、一切与えられず、買っても取り上げられ・・・という家でしたので。

ノートに絵を描いても誰にも一回も見せず引き出しに隠すという、もうエロ本よりも恥ずかしいものでした。

 

ですから部屋に友達を呼ぶという事は一切ありませんでした。本当に一回もありませんでした。

未だにゲームを話題にすることは出来ませんし、人が入ってくることにかなり抵抗があります。

教育が逆効果でしたね完全に。

ゲームを一切しない子が人の家に行くと何時間でもゲームをしたいと思う。

しなかった分を取り返そうとするんでしょうかね。

ずっと同じゲームをやっていました。

ですから帰る時間も遅くなります。我慢してたゲームができる「ご褒美の日」みたいなものですから。

 

遊びに行っても「どこに行くのか」とか「何時に帰るのか」とかいう事を報告しなかったり

時間を1分2分でも過ぎれば、全ての扉の鍵を閉められたり。 

最初はピュアですから泣いて謝りましたが、

何度も繰り返すうちに「黙ってれば勝手に開くんだから」と思うようになり、

やる事も言う事もワンパターンな母親に腹が立ってきました

怒ってばかりで全く心に響いてこないんですね。

もし鍵が閉まっていれば「殺す」と言って扉を思い切り蹴ってその辺で待つ。

そんな感じでした。

 

また、早く帰っても「何をやって来たのか」と聞かれました。

「ゲーム」などとホントの事を言うと怒られて面倒なので

「キャッチボール」だとか「自転車で旅」だとか、嘘をつくようになりました

(もちろんキャッチボールをする事もありましたが、大抵ゲームですよね)

 

その点、何も楽しみを持っていないので「夜10時には寝ている」という信じられないほど偉い子でした。年末年始以外夜12時を過ぎてから寝た事は無いはずです。

中学を卒業するまで授業中に1秒も眠ったことがありません。

ですので成績は自然に良かったです。学校では優秀な子でした。

公言していた将来の夢は「プロ野球選手」「英語の教師」

キャッチボールは好きだけど別に絶対甲子園行きたいとかそんな風に野球に熱くなった事は無かったです。

ですからその「プロ野球選手」というのは「周りの人間に合わせて馬鹿にされない為に作り出した嘘」でした。

「英語の教師」というのはそれよりはもうちょっと現実味がありましたが、結局一番したい事は「マンガを描く事」だったので教師も半分嘘という事になります。

 

テレビはバラエティ系が一切ダメでした。(めちゃイケだとかはねトびですかね)

夜7時になればNHKニュース。その前の夕方は教育テレビオンリー。

ニュースなんてつまんなくて一切見てなかったです。

日曜日は大河ドラマ。歴史がものすごく嫌いになりました。

「歴史が好きなのはジジイばっかりだ。」的な感じですかね。

 

唯一クイズ番組と「金曜ロードショー」「土曜プレミアム」は視聴が許されていたので休み前は寝るのが10時を過ぎていました。

いや、厳密には「金曜ロードショー」も「土曜プレミアム」も許されてなかったですね。

「明日部活のあるやつが!!!」みたいな感じで消されていました。

弟が中学生なのですが、未だにそんな感じで怒られています。

 

というわけでクイズ番組が殆どでしたね。

地頭が良くなる感じはありましたし、当時IQ216だったんですが、その分友達と話す事が無い

田舎なので小中と同じクラスメイトで孤立は無かったですし、喧嘩もなく、まあ仲良くやってたつもりなんですが・・・。

深く付き合うという事が無かった

そんなだから部活でキャッチボールをする時とか・・・

二人組になる必要がある場合声を掛けられるのを待っていてあぶれてましたね。

みんな仲がいいけどあぶれる。結構これは辛いもんです。

 

左利きが功を奏し他のポジションを兼任しつつ、中継ぎ的な感じでごくたまにピッチャーをやっていました。

左が貴重だったんです私のいた中学では。

なのでキャッチャーと必ずキャッチボールが出来るから私がピッチャーの時は安心していましたね。

腕前はプロ野球とか一切見ていないのでイメージも知識も無く、全然でした。

変化球もSFFフォークボールみたいなもんです)くらいしか投げられない変わったピッチャーでした。

最後までカーブが投げられなかったですね。カーブが何のことなのかサッパリでしたから。

 

部活終りは友達とふざけて中身の無い会話をした後、一人で帰っていました

同じ方向の人がいたにはいましたし、一緒に帰る事もありましたが、何せ二人になっても話すことが無いわけですから自然と一人の事が多かったですね。

この時間ってもっと友達と仲良くなる時間だと思うんですが、何もネタがないし、「マンガの事考えてる」とか絶対言えなかったし・・・。

 

ですので歩きながら空を見つめるだとか、

頭の中で景色を切り取るだとか(この行為がカメラ好きに繋がっています)

自分が歩く音と草木や虫や鳥の声を聴きながらだとか

作りたいけどバレるのが怖いマンガの事を一生懸命考えたりして帰っていました。

 

当時、半ば中二病的な発想の作品を考えていましたが、今思うとそこが哲学の原点だったのだろうと思います。

社会の黒い部分や裏の部分、人の心理の痛いところをガンガン突くものを作ってやろうと

読んだ人の人生が変わるような深い作品を作ってやろうと。

そんな感じでしたね。魔法とか武器とかそういう事は殆ど考えていませんでした。知らなかったですし。

帰ってすぐ作品の構想に没頭したり、美術的な事を何も知らないけれど、絵を描いてみたり。

中学生活は楽しかったはずですが、やはり色々な事で満足が行かなかったんでしょうね。

「何かを作る事」「何かを考える事」の楽しさでそれを埋めていたような気がします。

 しかし、何も知らないと作品は出来上がらないものです。

「作りたい」という気持ちが日々募っていくのに反比例してサッパリ何も出来上がらない。

叶えられないこの夢をいつまで隠せばいいのだろう。

それが苦しくなってゆき、挫折の原因になりました。

 

 

中学時代までの私をまとめてみました。

・同年代の子がやるような事はほどんど知らない 知能はあったが知識が全くない

・学校での成績は優秀 とにかく委員長だったり生徒会だったりリーダーシップを発揮していた。ところが周りの人に対して大きな劣等感を感じていた。

・不良的な事は一切しない。しかしそれが祟って自分を大きく変えるようなオシャレが出来ない臭いニキビ坊主だった。変わる事が怖かった

・かなりニキビを気にしてイジっていたし、濃いスネ毛を気にしたり、生えてきた髭をものすごく気にしていた。知識も無いのに乾いた皮膚に剃刀を当てて肌を荒れさせたりスクラブのキッツい洗顔料で顔をゴシゴシしてもっと悪化させたりしていた

自慰行為がかなり盛んだった。ニキビはそれが原因だと思っていたし、それをする事で父親など先代の禿げを受け継いでしまうと本当に嫌がっていたのだが、どうしても止められないという罪悪感で気持ちがどんどん追い詰められていった。(5歳の頃叔父に頭を触られ「あ、お前将来禿げるな」と言われたことをずっと引きずっていた」)

・性的な悩みもマンガに関する悩みも誰に打ち明ける事も出来なかった。自分の事を人に伝える事が本当に怖かった。なので友達にも言ったことは無い。兄妹の中では「アニメ・マンガ・ゲーム=ヲタク=キモい人間」だったので、マンガを描きたいなどとは絶対言えなかった。

 ・本音が言えない為故意に傷つける事は殆どなかった。故に「憎めない人」にはなっていたが、がどんどん多くなっていった。単なる「嘘吐き優等生」である。

 

中学生の頃、人を笑わせたいと思いコントを作ってみたり家では兄弟とラジオの真似事をして遊んでいました。

ゲームもないですし楽しくてやっていたんですけど、母親からは「頭がおかしい」とよく言われていました。 

 

 

Vol.4に続きます。

幸せになる勇気はあるか? Vol.2

Vol.2です。

個人的な勉強の時間を優先させたため、時間が空いてしまってすみません。

前回の事を簡単に振り返っておきましょう。

 

我々が「自由」を享受するために大前提となる約束

「他人の自由・権利に干渉しない事」

干渉できる自由など無いですよ!ということですね。

 

そして、「権利や法律、ルール・・・には問題を未然に防ぐ力がない」

という事を知る事です。

問題が起こった時にルールが貴方を守ってくれますが、

それよりももっと前、

問題が起こる前に貴方を守れるのは、貴方自身なのですよ!ということです。

 

 

犬を殺した人間

 

Vol.1を書いた翌日であれば書く内容が全く異なったのですが、

昨日知ってしまった残念な事があるので書かせて下さい。

 

このブログを書いていてふと思いました。

「私は人間の事は考えているけど、動物の事はどうなんだろう?」

 

私はインターネットで動物の虐待について軽くですが調べてみました。

すると出てくる出てくる。

動物を虐待し、処分する。それを動画に撮ってアップしている。

これがどんなに傲慢な事か。

 

その中から一つ紹介します。

面白半分、興味本位で見て欲しくないので

リンクは貼りません。

検索すれば見つけられますが、私が説明した後に見ても意味がありません。

出来れば見ないようにお願いします。

 

ローマでの映像です。

説明によると、大型犬が68歳の年金受給者を襲撃したそう。

襲われた被害者は重傷を受け病院に入院。

警察がその大型犬を捕まえて首をロープで括り、それを柵の上部から奥の木に結んで首を吊らせるような形で拘束。

最終的に犬は窒息して息絶えてしまうという動画です。

 

基本的に動物と人間の間に共通の言語は無い。

ですから「人間が動物を守るルール」はあります。

しかし、それを動物は知らない。

「動物が人間を守るルール」なんかも無い。 

 

link>動物の愛護及び管理に関する法律

 

 

 

何も決まりなん無い地球に社会やルールを形成した人間。

そこでは人語が全て。

 

故にそのせいで人間は地球のどこに行ってもそこが

「人間の場所」だと勘違いしている。

 

いつの間にか自然や動物を虐げるようになっているのです。

 

「人間の場所」なんてのがそもそも幻想なのです。 

 

野生に戻れば、命を守るために「巣」や「縄張り」というものが必要になりますが、

そこは生物にとって暮らしやすい、都合の良い環境が整っているというだけであって

誰の所有物でもないのです。

鳥は木を支配していない。そういう事です。

 

そういうわけで「飼っている」というより

「一緒に暮らしている」と言った方が良いでしょう。

 

家以外でもそうです。

「地球を住処だ」と思えば

自然や動物と一緒に暮らしてるんだという感覚が分かって来るでしょう。

 

いくら文明や技術が発達しようとも、この地球に住んでいるという事実は昔と何にも変わらない。

 

なのに人間だけ奢っているのはおかしいと思いませんか?

 

私自身、「日本人はペットに優しくしているだろう」という何にも根拠の無い言葉で安心しようとしていました。

それは「私」の考え方を日本人に投影して安心しているに過ぎない。

私は私であって「日本人」じゃあない。(日本生まれ日本育ちです)

というか「日本人」という括りをしている事がもうおかしい。

少し座標のずれた場所に住んでいる人間はどうなんだ。

そう考えるとこのパリの動画が「地球に住む者として」許せなくなるのです。

この考え方は重要です。笑ってはいけないと思います。

 

深く突き詰めていくと戦争する事だったり様々な事の馬鹿馬鹿しさが分かってきますから。

是非具体的に地球の事を考えてみて下さい。もっと先を行って宇宙、時間全ての事でもいいかもしれません。

それが貴方の世界を変える為の第一歩になるかも知れないのですから。

 

 

人間が今動物たちが置かれている立場になったらどうなるか考えたことはありますか?

 

言いたいことがあって吠えても理解なんかしてくれない。

助けてほしくても仲間がいない。

怖いに違いありません。

そんな環境の中で人間のようにのうのうと生きられるでしょうか?

何もしていないのに蹴られ、物を投げられ、虐められる動物もいるでしょう。

恐怖で、若しくは気を引こうと思って、お腹が空いて、パニックになって、助けを求めて・・・

何か理由があって通行人を襲ってしまう。

襲われた人に罪は無いかもしれません。

でも犬にだって罪は無いのです。

悪いのは犬をそうした人間社会。そうさせた人間社会です。

これが飼い主のいる犬だったら更に許せない動画になるでしょう。

法律では原則としてペットの責任は飼い主が負う事になっています。

当然ですよね。

 

そんな恐怖を与えられ続けてきた犬を殺す。

「同じ人間が襲われたんだ、こんな秩序を乱すやつは処分する」と殺すのです。

許せません。捕まえられるのならもっとやり方があったはず。

 

それともっと許せない事。

高みの見物のつもりでしょうか。

それを喜んで見ている人間がこの世にいっっっぱいいるのです。

悪いと思わない人間が数えきれないほどいるのです。

 

 

オオカミ少年」動物に育てられた人間の子供の事を知っていますか?

これは有名な話ですね。

動物は人間の子を虐めず、殺さず、それを見て笑わず、生かそうとしました。

同じ動物だと知っているからです。

人間の子でも動物社会ではしっかり育てられるのです。

 

子供を育てなかった親は道徳的に本当にひどいものです。

出来ればこんな事無い方がいいのですが、人間は愚かです。

いずれこういう事は起こっていたのでしょう。

 

重要なのはその道徳性じゃない。

動物の世界で人間の道徳なんか通用しないでしょう。

 

動物は子供を自分で食べ物を食べられるようになるまで教える。

それをやっただけです。

(産んですぐ置き去りにするという動物もいますが、食べるのに苦労する生き物ならばそういう教育は必要でしょう。)

 

人間に知恵があるのなら、家庭で一緒に暮らすと決めた動物ならば、責任をもって世話をしなければいけない。

地域で、社会で一緒に暮らす事を考えるのならきちんと食べ物を与える。

それを中途半端にやってしまうから、カラスのゴミ漁りだとかそんな問題が起きるのです。

野良猫にエサを与えないでください。と言っても

どうやっても中途半端になってしまうでしょう?一回でも食べ物をあげると懐いてしまう。住み着く。

隔離、棲み分けなんてそう簡単にできるもんじゃない。

だったら一緒に暮らしてしまえばいいのにと思います。

現に人は生き物の住む場所をどんどん奪っています。

山や森の生き物はが田畑にきて食べ物を食べてしまいます。

普通の流れじゃないでしょうか?

なのに人間がその動物を撃っていいのでしょうか?

少々暴論臭いですが、人間が自然を壊すことをやめず、にも関わらず動物に殺されたくないと思い、衛生的な食事を続けたいと思い、生き物の命を奪いたくないと思うのならば全ての動物に食べ物や安定した住処を提供しなければなりません。

それぐらいの事をしているのです。

これは「ひぐらしのなく頃に」にも通ずる話ですが、

人の住処を奪うのならそれなりの金や新しい住居、仕事の保証などをしなければなりません。

しかし、それで「分かったよ」と応じてくれる人間もいれば、その土地がいいんだという人間もいる。

同じように、動物の住処を奪って食べ物や住処の保証をしたからと言って襲ってこないとは限らない。

自然や動物と共生しない人間は、自分で自分の首を絞めているばかりか、共生しようとしている人間にまで迷惑をかけている。

地球に生きているのが人間だけではないといつになったら気付くんでしょうか?

 

言葉の通じない犬でも

平和な付き合い方が出来るし、信頼関係も築ける。

その動物が人間が暮らす社会で生まれたのなら、

優しくして想いを寄せて暮らせば良かったはず。

 

それなのにロクな育て方をされず、人しかいない街に放り出されたとしたら・・・

とにかく悪いのは犬ではありません。

人間の勝手で殺されたのです。

人間の価値観、善悪なんか通用しない。

そんな人間の傲慢は許されないのです。

 

 

殺処分

 

日本の殺処分数自体は昔と比べ、かなり減少しています。

 

link>環境省_統計資料 「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況」 [動物の愛護と適切な管理]

 

ただ、過去に殺処分された動物たちの数。これがひどい。

このデータから分かるだけでも270万~280万匹殺処分されているのです。

 

死亡ではありません。

処分です。

この問題も大変重いものです。

 

人間は人間を「処分してくれ」とは言いません。

殺してくれと言う事があったとしてもそれは「尊厳死安楽死」であって

その人間は人間としてある程度幸せな生活をしてきたはずです。

安楽死があるとしても手の施しようの無い病に侵された場合に限ります。

 

一方動物が殺処分されるきっかけは何でしょう?

「飼い主がペットを捨てる理由」を調べました。

 

  • 引越し先がペット禁止なので
  • 犬が大きくなって可愛くなくなったから
  • 予定外の出産で、たくさん子犬が産まれてしまったから
  • 面白半分で繁殖したけど、子犬のもらい手がいないから
  • 言うことを聞かず、うるさいだけだから
  • 経済的に余裕がないから
  • 老犬の介護がしんどくて
  • ブリーダーをやめたので、犬たちが用済みになったから
  • 夏休みで長期の旅行に行くから
  • 思っていたより臭いから
  • 飼い主が他界して面倒を見る人がいないから

 

 

これがいかに問題かが分かっていただけたでしょうか?

情報では炭酸ガスによって眠るように殺されるという「配慮」はあるらしいのですが、問題はそこじゃない。

人間の勝手で動物は住処を滅茶苦茶にされている現状がある。

人生を奪われている現状がある。

言葉の通じない相手に「生きる自由」を大きく干渉されている。

 

動物が怒っても不思議じゃありません。

それにも関わらず優しく寄り添ってくれる動物もいる。

犬や猫なんか特に人間の歴史と深い関わりがあるのに、未だ身勝手な理由で処分されている。

信じられません。

 

動物は愛護して当然です。

何処に行っても優しくされる社会なら、そこにいる動物が人間を襲う事なんかない。

 

私はこの動物の命を奪った傲慢な人間を絶対に許しません。

 

一方で

こちらをご覧下さい。Twitterで話題になっている動画です。

 

 

 

かなり理想的な動画ですね。アニメよりももっといい。

その場所では猫は虐められることなく平和に暮らせているのでしょう。

映っている方も、撮影者さんも騒いだりせずに

好意を持ってくれている猫にそっとついていきます。

下には少し怖がっている猫もいるようですが、最終的には猫から人に身体を摺り寄せています。

動物もちゃんと人を見ているのです。

 

 

相手と繋がる

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人と人が仲良くなる時、繋がるとき、握手をします。

私が手を差し伸べても貴方が手を出さなければ繋がる事は出来ません。

動物でも同じ。

こちらが警戒していたり、相手の手を強制的に捕まえようとしても仲良くはなれません。

引けば襲われ、押せば逃げられる。動物がパニックを起こして襲ってくる。

普通の事です。

それを分かっていない人間がいる。

腹を立てて虐める。逃げる動物を執拗に追いかける。やってはいけない事です。

 

熊が怖いのに無理に繋がってこい!なんていいません。

しかし、相手がライオンだろうがなんだろが、人と動物は愛し合えているのです。

 

そうなる為にはじっくり長い時間をかける必要がある。

愛なんて言葉の通じる人同士でさえ一朝一夕じゃあ出来ない。

 

だからこそ「金をかけて育ててやってる」なんて考えてはいけない。

それは傲慢である。見返りを求めているという事。

幸せな生活を傲慢さで捨てているのです。 

故に動物と優しく正しく繋がれない人間は家庭や人間社会で苦悩を抱えやすい。

繋がり方を知らない、「自分が相手より上だ、下だ」という価値観で生きている為です。

(詳しくはこちらをお読みください。↓)

 

chronosq.hatenablog.com

 

動物と人間に違いなどない。

(私は虫が苦手ですから付き合うという事はかなり難しいのですが・・・・ただ、殺戮だとか調和を壊すような事はしないよう。家に入ってきたらなるだけ殺さず外に逃がすのがいいでしょう。)

 

Vol.3に続きます。

幸せになる勇気はあるか?

Qronosです

 

先日「与えられるものに変化を願う事」を三回に分けて長々と書かせていただきました。

簡潔に、端的にNAVERまとめみたいに見やすく書いてもよかったんですが、

あくまでこのブログの目的は、これを読んでいる貴方との会話。

貴方の言葉を逐一リアルタイムで聞くことは出来ませんが、貴方の中に私を想像して対話しながら読んでいただけると幸いです。

 

自由について

 

さて、今日考えるのは「自由」についてです。

 

自分の意志が無く、周りがそうしているから自分もそうしておく

という生き方をしてしまう人はやはり少なくない。

 

それは中国の思想家・老子の説くような「柔弱謙下」の思想とはまた別で、

流されて生きること自体には抵抗があるし、

やっている事の反面そんな自分嫌だと思うでしょうから

かなり生きにくい生き方だろうなと思います。

 

 

今日の本題の前にまず、勘違いしてほしくない、本質的に理解してほしい大切な事があります。

 

 

「自由=無限」ではない

 

仮に「自由」が「無限」を意味するものであれば、そもそも私たちは法などによって守られる必要がなくなります。

例えば私が「私が何をしようと自由だ」と言って朝も夜も関係なく公園でシャウトしていたとします。

私はそれを無限にやっていい。

しかし、自由に近くに住んでいる人からすればどうでしょうか?

生活をしていれば睡眠をとる事は避けられない。

私はそれを妨害することになる。

寝たいのに眠れないと当然相手は怒りを私にぶつけてきます。

私はここに住みたいんだ。お前うるさいぞここから出て行け。

 

しかし、私を制限する法が無いので私はシャウトを邪魔する相手に怒りを覚えます。

このシャウトを邪魔するヤツは黙らせる。

私はその相手を殺します。「眠りたいなら永遠に眠っていろ」と。

相手は生きる自由を奪われました。

 

私は人の自由を奪った。ただ、それすら私の自由だとしたら?

(怒りを覚えたら殺してもいい。生き残った者にのみ自由を追求することが出来るという自由)

私は欲望、自由の追求の為に人を際限なく殺していく。

どんどん人の自由を奪っていく。

他の人間がそれを快く思うわけがありません。

自分だって自由を手にしたい。

他の人間は私を殺すために私よりもっともっと力をつける。結集する。

団結して私を殺す。

私の思い描いていた自由は滅びるのです。

 

 

人は自由であるべきだが、

「自由のせいで他人から干渉を受けてはいけない。干渉してはいけない」。

その「制限」あってこそ「自由」は成立するのです。

 

言葉の意味としては相対する「制限」と「自由」

一見矛盾しているようですが、

 

「自由」は本質的に

「制限」してこそ存在できるのです。

 

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基本的に私たちは何をしようとも自由です。

常に私たちはその自由を享受しています。

ただ、そこで前提として約束を求められるのが

 

「他人の自由に干渉しない事」

 

他人の自由や権利まで意のままに出来る「自由」などないのです。

 

まずはこの事を理解してください。

 

 

私たちは「制限」されてお互いの「自由」や「権利」を守っている。

 

そうやって守られた権利をまとめたものが憲法です。

 

 

________________

 

 

今の時代、私と貴方が住んでいるであろう日本ではどんな自由が保障されているのでしょうか?

 

学校で勉強したかと思いますが改めて確認してみましょう。

 

この国で保障されている「自由」の権利、つまり自由権

国家権力によって侵害や干渉を受けない個人の一定の生活領域を保障する権利です。

 

その権利は、

精神的自由権

(心の中やそれが外に出たものなどの精神的な活動についての自由)

 ●思想・良心の自由(何を思っても自由。私が「世界征服をする」と思うだけなら捕まらない)

 ●信教の自由(何を信じるのかは自由。「信じろ」「礼拝をしろ」などと強制されない)

 ●学問の自由(何を学び、何を研究発表し、何を教授するのかは自由)

 ●表現の自由(ブログや本の出版等、何を主張するのも自由。そして検閲されない。ここでは「通信の秘密」も保障されている。手紙・電話・メール等を政治権力が見る事は認められない。ただし、それが「公共の福祉」を侵害していると判断された時に制約を受ける場合がある。)

 ●集会の自由

 ●結社の自由

 

経済的自由権

(住む場所や何をして生きるのかを誰にも干渉されない自由)

 ●職業選択の自由

 ●居住移転の自由

 ●海外渡航の自由

 

身体的自由権

(正当な理由なしに拘束されないという自由 

あなたの身体は他の誰のものでもない)

 ●法的手続の保障

 ●刑罰の内容の保障

 ●刑事裁判手続上の保障

 

 

きちんと

「誰も貴方の自由を侵害してはいけないし、貴方も誰かの自由を侵害してはいけない」という一つの絶対的なルールに沿って決められています。

 

 

 

ルールは貴方を守らない

 

ただ、一つ憲法やルールではどうしようもない問題があります。

それは、

「ルール自体に問題を未然に防ぐ力が無い事に気付かない」

という問題です。

 

何を思うのも自由、何を信じるのも自由

貴方は基本的に自由で、誰にも干渉を受けない。

 

その保障された「貴方の絶対的な権利」を使うことが出来ない人がいます

その人はどんな人か。

 

「恐怖で自由や権利を行使できない人」です。

 

つまりその人は誰からかの干渉を受けている人なのですが、

法やルールは駆けつけてその干渉してくる相手を殴り、

貴方を守ってくれる屈強な神とかでは無いので、

相手の干渉を拒絶する勇気や力が無い人は

相手に服従してしまうのです。

 

例えば「LINEをしていて眠たいのにいつ切っていいか分からないから結局3時までチャットをしてしまって翌日学校で授業中寝ていた」

「みんながやっている、見ているから自分もそうしなきゃダメなのかな」と思うなんてよくある話です。

特に物を売る人間はその「集団心理」や「流行り」を上手く使って商品を勧めてきます。

普通のセールスなら可愛いですが、これが悪質な詐欺や勧誘に利用される場合もあるので、自分の意志が無い人間はそういう時に大きく損をします。

 

 

そして、そのルールを悪用する人間、

ルールを知らないから平気で相手の意思に干渉する人間

つまり「欲望など自分の利益の為に権力や金、暴力を使い、人の権利を奪う人」がいるのです。

 

 

「独裁」「ブラック企業」「過労死」「一家心中」「カルト教団」「暴行」「体罰問題」「誘拐・拉致」「監禁」「強姦」「マインドコントロール犯罪」「職業を勝手に決める親」「児童虐待」「家業の強制後継」「家と家の結婚」「売春・買春」「恐喝」「詐欺」などなど・・・・

 

 

ルールを理解し、それを貴方の意志、力に替えてきちんと持っているべき

 

問題を未然に防ぐのは警察でも法でもなく、

まず貴方の意志なのです。

 

どんな場合であっても貴方の意志は誰かに決定されてはいけません。

それが揺らいだ瞬間人間は簡単に支配されます。

 

一件でも犯罪や問題の数を減らすためにも、良質な教育、人間関係は重要です。

学校などの機関に丸投げするのではなく、人間全体が問題を主体的に解決していくことが必要です。

それは不可能な問題や机上の空論ではなく、単純にその人個人個人の意思と勇気の問題。

「どうせ頑張ったって」と思う人は幸せを得られません。

 

その事を知った私は自分の考えを綴るためにこうしてブログを書いています。

 

これを書くのも読むのも強制じゃないけど、私は人にお願いしたい。

 

大切なのは私が、貴方がどう考え、生きるか。

 

社会は一人の「他人に絶対干渉しない、ルールを守って生きる人間」を育てる事

個人は「他人に絶対干渉しない、ルールを守って生きる人間」になる事が大切になってきます。

 

この約束は、自分や人の「自由」「幸せ」を守る大切な約束になります。

どうか、守ってください。

相談できる人間が増える事も大切ですが、

まずは自分で幸せ、自由を守ってください

 

 

Vol.2に続きます。

与えられるものに変化を願うという事 Vol.3

 

Vol.2の続きです。

_________________

 

「分かった。分かってるけどやっぱり出来ないよ・・・」

 

はい。よく分かります。

色々書いてきましたが、

結局貴方の人生をプレーするのは貴方自身に変わりはありません。

 

与えられるもの、例えば職場や学校、家庭の環境に変化を願っているだけでは、貴方は人生を自信をもって前に進むことは出来ないでしょう。

それは、「あの人と合わないからダメなんだ」と他人のせいにしてしまう事。

 

幸せが自分から歩み寄って来さえすれば・・・!!!

そう思っているってことです。

 

貴方の人生は貴方が選ぶもの。

その自由があるだけです。

 

一時の勇気が出なくて自分に絶望する。

よくある事です。

でも大丈夫。

死ぬわけじゃないし、私は今から渋谷交差点に行って大声で好きな人の名前を叫んできましょうなんて言いません。

そういう勇気は別に必要ないでしょう。

本当にその必要が出てきたときにやるべきです。

流石にその大声で叫ぶ行為は誰の為にもならないですから・・・。

 

 

________________

 

自分には何の勇気が足りないのかハッキリさせましょう。

クラスメイトに話しかける勇気?

上司に自分の意志をはっきり伝える勇気?

実家を出る勇気?

告白する勇気?

 

勇気が必要だという事は、

何か良くない結果や人の目を恐れてるんじゃないですか?

 

ネットを見てみて下さい。

誰かに対する嫌な言葉は簡単に見つけられるほど溢れかえっています。

誰でも勇気が無いんだと思ってください。私たちと一緒です。

勇気を出して生きている人間は、きっとあなたの事を受け入れてくれる。

勇気が出せてない人間は、もしかしたらあなたを拒絶するかも。

でも、敵でも悪でもないのです。

警戒して引っ搔いてくる猫は、別に悪者じゃないでしょう?

傷つく必要はありません。傷付くだけ人は強くなるといいますが、

大切なのは傷ついても大丈夫と思う事。

他人の価値観に縛られない事。

人と勝負しない事。

 

相手が猫なら一緒に遊ぼうよと猫じゃらしを振るんじゃないですか?

人もそれと何も変わらないと思います。

「遊ぼう」とまでは行かずとも「仲良くしてください」と伝える。

手を振る。それだけでいいじゃないですか?

私はそれで仲良くなったと思います。

 

 

___________________

 

「友人」のイメージを、固定観念を取り払いましょう。

他人は全て友人になりうると。

 

街に出るとなんだとかみんな無表情でさっさと歩いてるから話しかけにくいし

仲間やグループになるとその結界は強そうで、なんか入ってゆけない。

グループに入っていないから自分は一人なんだ。

そうじゃないです。 

思い出してください。「私も不安なんです」。

グループを作るのは「不安だから」。

悪者を作るのは「不安だから」。

相手を馬鹿にするのは「不安だから」。

ものすごく怒るのも「不安だから」です。

人は誰も上下関係になっていない。

恐怖で自分を囲おうとしなければグループなんて関係ありません。

 

仮に貴方がしどろもどろになって声が小さくなってしまっても、

噛んでしまっても、目が合わせられなくても、

周りの人間の視線が気になっても

大丈夫。生きるってそういうことです。

相手も「話しかけられた・・・!」と思って平静を装って緊張しているかもしれません。それは単純に不慣れだから。

「あぁ!?聞こえません!!!」と高圧的な人間でも、その実緊張しているんです。不安だからそうしているのです。

貴方を好きになる勇気が出せないでいるだけ。

だからゆっくり続けてください。

相手がこちらを蔑んだり嘲笑しても、それは「不安だから」です。

 

人は誰でも簡単に孤独を感じる。それが嫌なのだ。

でもそれは下らない事だ。気にしてもしょうがないことだ。

不安なんか忘れてもっともっと今を楽しく暮らしたいんだ。

そう知っていれば声が小さくても貴方は前に進める。

 

親しみにくい人間もいるかもしれません。どうしてもあちらから手を伸ばしてくれない事もあります。

でもイライラしないで。陰口を言わないで。

陰口で人と繋がらないでください。

それでは苦しい人生の繰り返しです。他人を理由に逃げる事になります。

悪い人はいません。本当です。

あなたが受け入れてようとすれば、必ずその人も手を伸ばします。

自信をもって。

 

 

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何を話せばいいのか分からない?

いいえ、話す必然があると思っているから何も話せないと思い込んでいるだけです。

「あの・・・・おはようございます」

とだけでも言えばいい。話したいことや共有したいことがあるのならすぐに会話になるはずです。

自分を隠さずに全てを伝えるつもりで人と関わりましょう。

自分には何もないと思わないでください。

言葉があります。

「すみません・・・不慣れなので緊張します・・・」

そう伝えましょう。緊張してまで話しかけてくれた人を拒絶したり馬鹿にできる人間の方がおかしいのです。

 

例えば貴方が勇気を出してその人に歩み寄ったとしましょう。

もし「生理的に無理」と言われたらどうしますか?

また勇気の出せない人生に逆戻りでしょうか?

 

いいえ、落ち込まないでください。

「その人間があなたをどう思っていようと私の人生に何にも関係ない」

貴方は生きている時点で自分自身を「生理的に無理」とは思っていない。

「存在しているだけで吐き気がする」なんて事絶対にありえません。

ならばハッキリと言ってやりましょう。

「下らない」と

「お前も勇気を出せ」と。

 

関係が途切れてしまってもふさぎ込まないでください。

失敗しても少なくとも私がいます。

貴方が求めなくても私はこうしてそばにいます。

それが私が貴方の為に出来る事。人に感謝するという事。

今は他人でもこれを理解してくれたのなら私とは既に友人です。

 

 

でも、現実まだまだ問題はありますよね。

そういう細かい部分の悩みについてはまた後日一緒に考えましょう。

 では、また。

与えられるものに変化を願うという事 Vol.2

Vol.1の続きです。

 

 

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youtu.be

曲紹介の時に貼ったものです。

もう一度映像を振り返って

「そういうことじゃ ないんだな」の意味が解っていただけましたでしょうか?

 

この動画の趣旨、何が言いたいの?

ってことをを俗っぽく理解すると

「人は外見じゃないんだよ」って事になるでしょうかね?

 

でもそうじゃないんです。

 

「人間は外見」

「違うよ人間は中身だよ」

という価値観が存在すること自体

大きな間違いなのです。

 

 

なぜあの可愛い子はあの男に恋をしているのか?

それを貴方が考える必要なんてありません。

 

それが分かったところでどうするのですか?

魔法をかけますか?媚薬でも飲ませますか?

人を不幸にしてまで叶えたい望みですか?

 

 

外見を磨いて出直そうとしたところで、

貴方のその「人は外見だ」という物差しは

他人に通用するでしょうか?

 

その外見磨きはどこまで行ったら完成なのでしょうか?

例えば、豊胸手術をしたとして、BカップからFカップまで大きくしたとしましょう。

それで好みの男性は振り向いてくれるでしょうか?

気持ち悪がられるだけです。

 

もし喜んで飛びついてきたら、貴方と彼はその作った胸でしか繋がっていないことになります。貴方は顏じゃないんだね。身体目当て。

そんな寂しい事はないですよね。

振り向かなかったとしたら、どうしますか?次は何を直しましょうか?

 

オシャレをするな、運動はもうやめろ・・・という意味ではありません。

「他人の期待を満たす為に生きるな」

という意味です。

 

 

 

恋愛をする、成就させるためには、

貴方がまず人を外見だとか「こうだったらいいな」という自分の理想に照らし合わせて見ない事です。

「色眼鏡で見ない」という事ですね

 

外見や理想を追っていると、恋愛は本質的に片側一方通行ではないので、

相手の「こうだったらいいな」を自分も叶えないといけなくなります

 

お互いが疲れるのです。

本来の自分では愛し合えないのです。

 

恋心に踊らされて見失いがちですが、相手に要求をしない事が大切です。

恋愛は「あのイケメンと」と思えば思うほど遠のきますし、

失った後、失敗した後もう恋愛したくなくなります。

 

心を許し合える関係になった時は当然もう交際していいでしょう。

その為にはまず、自分の事は隠さない事。虚飾しない事です。

 

 

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量産型女子大生が大変騒がれた事がありますが、

それは「他人の物差し、期待に応えようとした結果」の典型ともいえるでしょう。

 

集団で「こうでなければ可愛くない」「友達が出来ない」「恋愛できない」

などという事を恐れて

雑誌やネットなどの情報を一生懸命漁って頑張る。

 

・・・「どうにか人に認められたい」「そこにいたい」と一生懸命になっている人です

非難はしたくない。されるべきではない。

私は一生懸命頑張ってる人の事は純粋に好きになれます。

 

しかし、当の本人たちが困っているのです。

個性というものを失い、「どこにでもいそうな量産型」と言われるようになる。

「貴方じゃなきゃダメなんだ」という理由がどんどんなくなっていく。

 

仮に彼女たちが幸せに恋愛を出来ていたとしても、

「他人の期待を満たす為の人生」は終わらない。

 

そんな人生を歩む人間は、傷つくことをもっと恐れるようになってしまう。

 

自分にとっての武器、存在理由は、生きている意味は

「この2000いいねを獲得した顔だ」「オシャレだ」とか「恋人がいる事だ」「適齢期に結婚して家族がいる事だ」などなど

どんどん勘違いをしていく。

 

昨日見たドラマの話が出来なきゃ、「逃げ恥ダンス」を覚えなきゃいけない。

インスタグラムをやってなきゃ女子じゃない。

誰かが「可愛いね!」と言ってくれることを期待していい服を買って美味しいスイーツ食べてその写真を可愛く加工してアップする事が憧れ

自分はブスじゃないって安心したいから自撮りする。

ネットでは褒めてくれそうな人の相手を褒めてくれるまで続ける。

 

・・・世界から「可愛い」と言われるまでその行為は続くんでしょうか

「ブス」と言われたらどうなってしまうんでしょうか。

 

世界から疎外された気分になるでしょう。

本当の友だちとは何かが分からなくなるでしょう。

そもそも人なんか信頼できなくなるでしょう。

生きる意味が解らなくなるでしょう。

 

 

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「自分の事を、相手がどう思うかなど、貴方が考える事では無い」

 

 

「可愛いね」「カッコいいね」と言われる事は嬉しいかもしれない。

自分には価値があると思えるかもしれない。

ただ、

その生き方を求めると、

貴方が無駄に苦しく、生きづらくなるのです。

憧れの人生のはずが、

貴方は誰かの価値観の上で生きてしまっている

自分の人生を失っているのです。

 

では、可愛いねと言われなければ死んでしまった方がいいのでしょうか?

 

 

私はそれを先に伝えるために敢えて自分の好きな曲紹介をしました。

 

「流行っているとかタイムリーかとか私の世代は大体こういうの好きみたいな事は一切関係ありません。

どうでもいいですそんな事。

下らない。」

 

好きだから紹介した。

誰かからやれと言われたわけじゃない。

仮に貴方が紹介する曲を低評価をしようが、吐き気を催そうがどうでもいいことです。

(吐きそうになったら普通に心配しますが、それによって私が曲に対して嫌悪感を抱いたりするとかには全く関係ないという意味です。)

 

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トラウマもやイジメも同じです。

例えば貴方の顔がムカつくといって殴ってきた人間がいた。

貴方の姿を指差して笑ったり馬鹿にしてきた人間がいた。

でも貴方がそれを「下らない事だ」と思える強い人間になれたのなら、もうその相手は貴方を馬鹿にしたりは出来ません。

 

「恐れなければ馬鹿にされることはない」

というか馬鹿にしたことにならないのです。

 

笑ったり殴ってくる人間は、

貴方の顔を理由にして「自分は上だ」と上下関係を築きたがっているクソ野郎でしかないのです。

 

何故馬鹿にしてくるのか?

 

それは貴方を安心材料にしたいから。

 

「自分は大丈夫だ(何が大丈夫なんでしょうか)」と思いたいから。

 

そして誰かが決めた価値観の上で生きている苦しい人間だから

 

苦しみを、痛みを避けるために貴方を非難するのです。

 必ずイジメる楽しさや興奮の裏に恐怖があります。

誰でもいじめられる、一人にされるのは嫌なものです。

 

何を以て顔に甲乙をつけるのか?何が顔として正しいのか?

誰もその正解など持っていません。

もしかして石膏像みたいな顔とか黄金比に忠実な左右対称の良い顔だと思ってますか?

その人間がいたとして、人間はみんなあの顔が好きなんでしょうか?

皆その人と付き合いたいんでしょうか?

そんな事あり得ませんよね。

 

顔は褒める物でも馬鹿にするものでもありません。

 

 これが分かったら芸術品を見る意味も分かって来るんじゃないですか?

顏なんて自然の造形そのもの。正しさがある方がおかしいのです。

それは、アフリカの国境を直線で区切っていくようなもの。

もう愚かとしか言いようがない。

 

 

褒める、けなすという事で既に相手との間に上下関係が出来上がっています

「俺は好き」「俺は嫌い」なんて感想を述べたところで

私にとってはどうでもいいことなんです。

 評価を下すことがおかしいのです。

 

 

________________

 

 

褒められることを目的にしてはいけません。

褒めてはいけません。

 

じゃあ教育ってすればいいんだよ!

という事になりますが・・・。

 

教育をするというイメージはどんなものですか?

 

恐らく「教える師がいて、それを学ぶ弟がいる」そんな感じでしょう。

師は人によって様々ですよね。

親かも知れないし、学校の教師、職場の上司、友達、どこかのおじさん、自然・・・・赤ちゃんかも知れませんよ?

上下関係が生まれた時点で軋轢やストレス、喧嘩などが起こると前述しましたが、

そこです。

 

 

 

「師は偉い」のでしょうか?

 

私はそうは思いません。

何か偉業を成し遂げていたとしても、知識が大量にあったり、何人も人を見て来たりしていたとしても、

別にその人は別に特別な存在ではない。

その人が偉いかどうかなんて実際貴方の人生に関係ないでしょう?

 

その師である人がもし褒めて欲しいと思っているなら、

ハッキリと言ってください。

「貴方が偉いかどうかなんて私にとっては

どうでもいいことです。と。

 

かなり怒るかも知れません。

でもこれは反抗ではありません。紛れもない事実です。

 

 

その人は他人の価値観の上で生きている人間なだけ

なのですから。

その人は誰かより上にいたくて苦しんでいるのです。

他人に評価を貰えない事を恐れているのです。

 

誰かの人生の中で「特別な存在でありたい」と願うことが

間違っているのです。

 

 

 

「先にこの世界に入った」「先に生まれた」

「成果を残している」「名を馳せている」

・・・「だから偉い」のではないのです。

 

「師」「弟」はもっと単純です。

「師」は「弟」に何かを教え、「弟」は「師」から学ぶ。

 

ただそれだけの関係を「師弟関係」というのです。

教師であろうと親であろうと上司であろうと、元々何も知らない人間だった。

誰であろうと何かを学ぶことはある。

それが職場のさらに上司からかもしれないし、自分の子供、生徒からかも知れない。

全てを知っていて全てを教えられる人間などいない。

そもそも人間は誰も偉くは無いのです

 

 

それを分かっている人間は謙虚になります。

なぜなら師が頭のいい人だとか先生の事を無条件に指しているのではなく

「自分を助けてくれた人」

だと思っているからです。

「大切な存在」だと思っているからです。

 

「人間はそもそも誰も偉くない。私がこうして結果残せたのも、何も知らない私にいろいろ教えてくれた『師』がいるからです。皆さんが私の『師』です」

 

 人間は誰も偉くないのなら謙る必要はないかと思いますが、

それは感謝しているからこそできる事。

 

そこに「感謝されたい」「褒められたい」という感情が混じると、

何も言ってくれない、欲しい評価をくれない相手にイライラを感じてゆきます。

 

「自分はこんなに頑張ってるのに!」

「お前の為を思って言ってるんだぞ!?」

「早く勉強しなさい」

 「たまには手伝ったらどうなの!!!!」

「誰がこの家をささえてんだ?ん?」

 

家族や相手がいるだけで貴方は安心感を得ているはず。

それだけで家族には感謝すべきなのです。

褒めるのではなく、感謝する。

家族や友人が受験やら面接やら発表会、告白・・・

何かで不安になっていたら

「そばにいるからね」とそれだけ言ってあげてください

失敗しても貴方の道は何も消えないよと。

 

勇気を出すのは他の誰でもないその本人です。

いくら可哀想でもその事をハッキリと伝えるべきです。

勇気を出すことを覚えるのが先延ばしになるだけです。

一緒に憂鬱になっていては意味がありません。

 

もっと具体的な意味づけはその人個人で異なりますが、

自分を助けてくれる人の為にそばにいる事、それが私たちの生きる意味と言えるでしょう。

 

 

「何をして貰えるのか?」など考えないように。

決して見返りを求めてはいけません。

 

 

感謝出来る人間は他人の幸せを素直に祝福できる。

それは、「自分が育てたから」

「自分が関わったから」ではありません。

 

大切な人が喜んでいるからです。

 

Vol.3に続きます。