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Deepthink for tomorrow.

迷ってる、悩んでいる人へQronosの「机上の空論」 

与えられるものに変化を願うという事 Vol.2

Vol.1の続きです。

 

 

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youtu.be

曲紹介の時に貼ったものです。

もう一度映像を振り返って

「そういうことじゃ ないんだな」の意味が解っていただけましたでしょうか?

 

この動画の趣旨、何が言いたいの?

ってことをを俗っぽく理解すると

「人は外見じゃないんだよ」って事になるでしょうかね?

 

でもそうじゃないんです。

 

「人間は外見」

「違うよ人間は中身だよ」

という価値観が存在すること自体

大きな間違いなのです。

 

 

なぜあの可愛い子はあの男に恋をしているのか?

それを貴方が考える必要なんてありません。

 

それが分かったところでどうするのですか?

魔法をかけますか?媚薬でも飲ませますか?

人を不幸にしてまで叶えたい望みですか?

 

 

外見を磨いて出直そうとしたところで、

貴方のその「人は外見だ」という物差しは

他人に通用するでしょうか?

 

その外見磨きはどこまで行ったら完成なのでしょうか?

例えば、豊胸手術をしたとして、BカップからFカップまで大きくしたとしましょう。

それで好みの男性は振り向いてくれるでしょうか?

気持ち悪がられるだけです。

 

もし喜んで飛びついてきたら、貴方と彼はその作った胸でしか繋がっていないことになります。貴方は顏じゃないんだね。身体目当て。

そんな寂しい事はないですよね。

振り向かなかったとしたら、どうしますか?次は何を直しましょうか?

 

オシャレをするな、運動はもうやめろ・・・という意味ではありません。

「他人の期待を満たす為に生きるな」

という意味です。

 

 

 

恋愛をする、成就させるためには、

貴方がまず人を外見だとか「こうだったらいいな」という自分の理想に照らし合わせて見ない事です。

「色眼鏡で見ない」という事ですね

 

外見や理想を追っていると、恋愛は本質的に片側一方通行ではないので、

相手の「こうだったらいいな」を自分も叶えないといけなくなります

 

お互いが疲れるのです。

本来の自分では愛し合えないのです。

 

恋心に踊らされて見失いがちですが、相手に要求をしない事が大切です。

恋愛は「あのイケメンと」と思えば思うほど遠のきますし、

失った後、失敗した後もう恋愛したくなくなります。

 

心を許し合える関係になった時は当然もう交際していいでしょう。

その為にはまず、自分の事は隠さない事。虚飾しない事です。

 

 

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量産型女子大生が大変騒がれた事がありますが、

それは「他人の物差し、期待に応えようとした結果」の典型ともいえるでしょう。

 

集団で「こうでなければ可愛くない」「友達が出来ない」「恋愛できない」

などという事を恐れて

雑誌やネットなどの情報を一生懸命漁って頑張る。

 

・・・「どうにか人に認められたい」「そこにいたい」と一生懸命になっている人です

非難はしたくない。されるべきではない。

私は一生懸命頑張ってる人の事は純粋に好きになれます。

 

しかし、当の本人たちが困っているのです。

個性というものを失い、「どこにでもいそうな量産型」と言われるようになる。

「貴方じゃなきゃダメなんだ」という理由がどんどんなくなっていく。

 

仮に彼女たちが幸せに恋愛を出来ていたとしても、

「他人の期待を満たす為の人生」は終わらない。

 

そんな人生を歩む人間は、傷つくことをもっと恐れるようになってしまう。

 

自分にとっての武器、存在理由は、生きている意味は

「この2000いいねを獲得した顔だ」「オシャレだ」とか「恋人がいる事だ」「適齢期に結婚して家族がいる事だ」などなど

どんどん勘違いをしていく。

 

昨日見たドラマの話が出来なきゃ、「逃げ恥ダンス」を覚えなきゃいけない。

インスタグラムをやってなきゃ女子じゃない。

誰かが「可愛いね!」と言ってくれることを期待していい服を買って美味しいスイーツ食べてその写真を可愛く加工してアップする事が憧れ

自分はブスじゃないって安心したいから自撮りする。

ネットでは褒めてくれそうな人の相手を褒めてくれるまで続ける。

 

・・・世界から「可愛い」と言われるまでその行為は続くんでしょうか

「ブス」と言われたらどうなってしまうんでしょうか。

 

世界から疎外された気分になるでしょう。

本当の友だちとは何かが分からなくなるでしょう。

そもそも人なんか信頼できなくなるでしょう。

生きる意味が解らなくなるでしょう。

 

 

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「自分の事を、相手がどう思うかなど、貴方が考える事では無い」

 

 

「可愛いね」「カッコいいね」と言われる事は嬉しいかもしれない。

自分には価値があると思えるかもしれない。

ただ、

その生き方を求めると、

貴方が無駄に苦しく、生きづらくなるのです。

憧れの人生のはずが、

貴方は誰かの価値観の上で生きてしまっている

自分の人生を失っているのです。

 

では、可愛いねと言われなければ死んでしまった方がいいのでしょうか?

 

 

私はそれを先に伝えるために敢えて自分の好きな曲紹介をしました。

 

「流行っているとかタイムリーかとか私の世代は大体こういうの好きみたいな事は一切関係ありません。

どうでもいいですそんな事。

下らない。」

 

好きだから紹介した。

誰かからやれと言われたわけじゃない。

仮に貴方が紹介する曲を低評価をしようが、吐き気を催そうがどうでもいいことです。

(吐きそうになったら普通に心配しますが、それによって私が曲に対して嫌悪感を抱いたりするとかには全く関係ないという意味です。)

 

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トラウマもやイジメも同じです。

例えば貴方の顔がムカつくといって殴ってきた人間がいた。

貴方の姿を指差して笑ったり馬鹿にしてきた人間がいた。

でも貴方がそれを「下らない事だ」と思える強い人間になれたのなら、もうその相手は貴方を馬鹿にしたりは出来ません。

 

「恐れなければ馬鹿にされることはない」

というか馬鹿にしたことにならないのです。

 

笑ったり殴ってくる人間は、

貴方の顔を理由にして「自分は上だ」と上下関係を築きたがっているクソ野郎でしかないのです。

 

何故馬鹿にしてくるのか?

 

それは貴方を安心材料にしたいから。

 

「自分は大丈夫だ(何が大丈夫なんでしょうか)」と思いたいから。

 

そして誰かが決めた価値観の上で生きている苦しい人間だから

 

苦しみを、痛みを避けるために貴方を非難するのです。

 必ずイジメる楽しさや興奮の裏に恐怖があります。

誰でもいじめられる、一人にされるのは嫌なものです。

 

何を以て顔に甲乙をつけるのか?何が顔として正しいのか?

誰もその正解など持っていません。

もしかして石膏像みたいな顔とか黄金比に忠実な左右対称の良い顔だと思ってますか?

その人間がいたとして、人間はみんなあの顔が好きなんでしょうか?

皆その人と付き合いたいんでしょうか?

そんな事あり得ませんよね。

 

顔は褒める物でも馬鹿にするものでもありません。

 

 これが分かったら芸術品を見る意味も分かって来るんじゃないですか?

顏なんて自然の造形そのもの。正しさがある方がおかしいのです。

それは、アフリカの国境を直線で区切っていくようなもの。

もう愚かとしか言いようがない。

 

 

褒める、けなすという事で既に相手との間に上下関係が出来上がっています

「俺は好き」「俺は嫌い」なんて感想を述べたところで

私にとってはどうでもいいことなんです。

 評価を下すことがおかしいのです。

 

 

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褒められることを目的にしてはいけません。

褒めてはいけません。

 

じゃあ教育ってすればいいんだよ!

という事になりますが・・・。

 

教育をするというイメージはどんなものですか?

 

恐らく「教える師がいて、それを学ぶ弟がいる」そんな感じでしょう。

師は人によって様々ですよね。

親かも知れないし、学校の教師、職場の上司、友達、どこかのおじさん、自然・・・・赤ちゃんかも知れませんよ?

上下関係が生まれた時点で軋轢やストレス、喧嘩などが起こると前述しましたが、

そこです。

 

 

 

「師は偉い」のでしょうか?

 

私はそうは思いません。

何か偉業を成し遂げていたとしても、知識が大量にあったり、何人も人を見て来たりしていたとしても、

別にその人は別に特別な存在ではない。

その人が偉いかどうかなんて実際貴方の人生に関係ないでしょう?

 

その師である人がもし褒めて欲しいと思っているなら、

ハッキリと言ってください。

「貴方が偉いかどうかなんて私にとっては

どうでもいいことです。と。

 

かなり怒るかも知れません。

でもこれは反抗ではありません。紛れもない事実です。

 

 

その人は他人の価値観の上で生きている人間なだけ

なのですから。

その人は誰かより上にいたくて苦しんでいるのです。

他人に評価を貰えない事を恐れているのです。

 

誰かの人生の中で「特別な存在でありたい」と願うことが

間違っているのです。

 

 

 

「先にこの世界に入った」「先に生まれた」

「成果を残している」「名を馳せている」

・・・「だから偉い」のではないのです。

 

「師」「弟」はもっと単純です。

「師」は「弟」に何かを教え、「弟」は「師」から学ぶ。

 

ただそれだけの関係を「師弟関係」というのです。

教師であろうと親であろうと上司であろうと、元々何も知らない人間だった。

誰であろうと何かを学ぶことはある。

それが職場のさらに上司からかもしれないし、自分の子供、生徒からかも知れない。

全てを知っていて全てを教えられる人間などいない。

そもそも人間は誰も偉くは無いのです

 

 

それを分かっている人間は謙虚になります。

なぜなら師が頭のいい人だとか先生の事を無条件に指しているのではなく

「自分を助けてくれた人」

だと思っているからです。

「大切な存在」だと思っているからです。

 

「人間はそもそも誰も偉くない。私がこうして結果残せたのも、何も知らない私にいろいろ教えてくれた『師』がいるからです。皆さんが私の『師』です」

 

 人間は誰も偉くないのなら謙る必要はないかと思いますが、

それは感謝しているからこそできる事。

 

そこに「感謝されたい」「褒められたい」という感情が混じると、

何も言ってくれない、欲しい評価をくれない相手にイライラを感じてゆきます。

 

「自分はこんなに頑張ってるのに!」

「お前の為を思って言ってるんだぞ!?」

「早く勉強しなさい」

 「たまには手伝ったらどうなの!!!!」

「誰がこの家をささえてんだ?ん?」

 

家族や相手がいるだけで貴方は安心感を得ているはず。

それだけで家族には感謝すべきなのです。

褒めるのではなく、感謝する。

家族や友人が受験やら面接やら発表会、告白・・・

何かで不安になっていたら

「そばにいるからね」とそれだけ言ってあげてください

失敗しても貴方の道は何も消えないよと。

 

勇気を出すのは他の誰でもないその本人です。

いくら可哀想でもその事をハッキリと伝えるべきです。

勇気を出すことを覚えるのが先延ばしになるだけです。

一緒に憂鬱になっていては意味がありません。

 

もっと具体的な意味づけはその人個人で異なりますが、

自分を助けてくれる人の為にそばにいる事、それが私たちの生きる意味と言えるでしょう。

 

 

「何をして貰えるのか?」など考えないように。

決して見返りを求めてはいけません。

 

 

感謝出来る人間は他人の幸せを素直に祝福できる。

それは、「自分が育てたから」

「自分が関わったから」ではありません。

 

大切な人が喜んでいるからです。

 

Vol.3に続きます。