Deepthink for tomorrow.

迷ってる、悩んでいる人へQronosの「机上の空論」 

幸せになる勇気はあるか? Vol.3

Vol.3です。 

 

個人的な話 始まりの話 

 

なぜ社会人になった私が勉強を始め、こんなブログを書くに至ったのか。

何をするにも、ある程度動機があるかと思いますが、これに関しても私なりの理由があります。

「貴方との対話」と毎度のように書いていますが、ここで私個人の話をさせていただきたいと思います。

 

私が今こうしている理由。

まず「自分のしたい事をする為」ですね。

 

「したい事をする」と言うのは、自由奔放に見えて案外実践するのが難しいものです。

様々な誘惑や障害があるからかも知れません。

心が弱いのかも知れません。

 

私の場合、昔から八方美人的なところがあって、ある一つの物事に取り組んでいる最中でも途端に他の事がしたくなるという事が何度もありました。

他の人でも「掃除の最中やテスト前にマンガを・・・」なんてよくある話ですよね。

やろうとする気持ちを邪魔する悩みや不安もありました。

それがテストや掃除以外、つまり人生で起きると挫折の原因になってしまう。

 

今日はその挫折を乗り越えるお話です。

 

 

 

中学生の私 哲学の始まり 挫折の始まり

 

私の事を詳しくお話しします。

 

中学時代、私はマンガを描きたいと思っていたけれど、そう思っていることがバレるのが嫌だった。

「マンガやアニメ・ゲームなどは娯楽であって勉強しない奴がやるもんではない」と言われ、一切与えられず、買っても取り上げられ・・・という家でしたので。

ノートに絵を描いても誰にも一回も見せず引き出しに隠すという、もうエロ本よりも恥ずかしいものでした。

 

ですから部屋に友達を呼ぶという事は一切ありませんでした。本当に一回もありませんでした。

未だにゲームを話題にすることは出来ませんし、人が入ってくることにかなり抵抗があります。

教育が逆効果でしたね完全に。

ゲームを一切しない子が人の家に行くと何時間でもゲームをしたいと思う。

しなかった分を取り返そうとするんでしょうかね。

ずっと同じゲームをやっていました。

ですから帰る時間も遅くなります。我慢してたゲームができる「ご褒美の日」みたいなものですから。

 

遊びに行っても「どこに行くのか」とか「何時に帰るのか」とかいう事を報告しなかったり

時間を1分2分でも過ぎれば、全ての扉の鍵を閉められたり。 

最初はピュアですから泣いて謝りましたが、

何度も繰り返すうちに「黙ってれば勝手に開くんだから」と思うようになり、

やる事も言う事もワンパターンな母親に腹が立ってきました

怒ってばかりで全く心に響いてこないんですね。

もし鍵が閉まっていれば「殺す」と言って扉を思い切り蹴ってその辺で待つ。

そんな感じでした。

 

また、早く帰っても「何をやって来たのか」と聞かれました。

「ゲーム」などとホントの事を言うと怒られて面倒なので

「キャッチボール」だとか「自転車で旅」だとか、嘘をつくようになりました

(もちろんキャッチボールをする事もありましたが、大抵ゲームですよね)

 

その点、何も楽しみを持っていないので「夜10時には寝ている」という信じられないほど偉い子でした。年末年始以外夜12時を過ぎてから寝た事は無いはずです。

中学を卒業するまで授業中に1秒も眠ったことがありません。

ですので成績は自然に良かったです。学校では優秀な子でした。

公言していた将来の夢は「プロ野球選手」「英語の教師」

キャッチボールは好きだけど別に絶対甲子園行きたいとかそんな風に野球に熱くなった事は無かったです。

ですからその「プロ野球選手」というのは「周りの人間に合わせて馬鹿にされない為に作り出した嘘」でした。

「英語の教師」というのはそれよりはもうちょっと現実味がありましたが、結局一番したい事は「マンガを描く事」だったので教師も半分嘘という事になります。

 

テレビはバラエティ系が一切ダメでした。(めちゃイケだとかはねトびですかね)

夜7時になればNHKニュース。その前の夕方は教育テレビオンリー。

ニュースなんてつまんなくて一切見てなかったです。

日曜日は大河ドラマ。歴史がものすごく嫌いになりました。

「歴史が好きなのはジジイばっかりだ。」的な感じですかね。

 

唯一クイズ番組と「金曜ロードショー」「土曜プレミアム」は視聴が許されていたので休み前は寝るのが10時を過ぎていました。

いや、厳密には「金曜ロードショー」も「土曜プレミアム」も許されてなかったですね。

「明日部活のあるやつが!!!」みたいな感じで消されていました。

弟が中学生なのですが、未だにそんな感じで怒られています。

 

というわけでクイズ番組が殆どでしたね。

地頭が良くなる感じはありましたし、当時IQ216だったんですが、その分友達と話す事が無い

田舎なので小中と同じクラスメイトで孤立は無かったですし、喧嘩もなく、まあ仲良くやってたつもりなんですが・・・。

深く付き合うという事が無かった

そんなだから部活でキャッチボールをする時とか・・・

二人組になる必要がある場合声を掛けられるのを待っていてあぶれてましたね。

みんな仲がいいけどあぶれる。結構これは辛いもんです。

 

左利きが功を奏し他のポジションを兼任しつつ、中継ぎ的な感じでごくたまにピッチャーをやっていました。

左が貴重だったんです私のいた中学では。

なのでキャッチャーと必ずキャッチボールが出来るから私がピッチャーの時は安心していましたね。

腕前はプロ野球とか一切見ていないのでイメージも知識も無く、全然でした。

変化球もSFFフォークボールみたいなもんです)くらいしか投げられない変わったピッチャーでした。

最後までカーブが投げられなかったですね。カーブが何のことなのかサッパリでしたから。

 

部活終りは友達とふざけて中身の無い会話をした後、一人で帰っていました

同じ方向の人がいたにはいましたし、一緒に帰る事もありましたが、何せ二人になっても話すことが無いわけですから自然と一人の事が多かったですね。

この時間ってもっと友達と仲良くなる時間だと思うんですが、何もネタがないし、「マンガの事考えてる」とか絶対言えなかったし・・・。

 

ですので歩きながら空を見つめるだとか、

頭の中で景色を切り取るだとか(この行為がカメラ好きに繋がっています)

自分が歩く音と草木や虫や鳥の声を聴きながらだとか

作りたいけどバレるのが怖いマンガの事を一生懸命考えたりして帰っていました。

 

当時、半ば中二病的な発想の作品を考えていましたが、今思うとそこが哲学の原点だったのだろうと思います。

社会の黒い部分や裏の部分、人の心理の痛いところをガンガン突くものを作ってやろうと

読んだ人の人生が変わるような深い作品を作ってやろうと。

そんな感じでしたね。魔法とか武器とかそういう事は殆ど考えていませんでした。知らなかったですし。

帰ってすぐ作品の構想に没頭したり、美術的な事を何も知らないけれど、絵を描いてみたり。

中学生活は楽しかったはずですが、やはり色々な事で満足が行かなかったんでしょうね。

「何かを作る事」「何かを考える事」の楽しさでそれを埋めていたような気がします。

 しかし、何も知らないと作品は出来上がらないものです。

「作りたい」という気持ちが日々募っていくのに反比例してサッパリ何も出来上がらない。

叶えられないこの夢をいつまで隠せばいいのだろう。

それが苦しくなってゆき、挫折の原因になりました。

 

 

中学時代までの私をまとめてみました。

・同年代の子がやるような事はほどんど知らない 知能はあったが知識が全くない

・学校での成績は優秀 とにかく委員長だったり生徒会だったりリーダーシップを発揮していた。ところが周りの人に対して大きな劣等感を感じていた。

・不良的な事は一切しない。しかしそれが祟って自分を大きく変えるようなオシャレが出来ない臭いニキビ坊主だった。変わる事が怖かった

・かなりニキビを気にしてイジっていたし、濃いスネ毛を気にしたり、生えてきた髭をものすごく気にしていた。知識も無いのに乾いた皮膚に剃刀を当てて肌を荒れさせたりスクラブのキッツい洗顔料で顔をゴシゴシしてもっと悪化させたりしていた

自慰行為がかなり盛んだった。ニキビはそれが原因だと思っていたし、それをする事で父親など先代の禿げを受け継いでしまうと本当に嫌がっていたのだが、どうしても止められないという罪悪感で気持ちがどんどん追い詰められていった。(5歳の頃叔父に頭を触られ「あ、お前将来禿げるな」と言われたことをずっと引きずっていた」)

・性的な悩みもマンガに関する悩みも誰に打ち明ける事も出来なかった。自分の事を人に伝える事が本当に怖かった。なので友達にも言ったことは無い。兄妹の中では「アニメ・マンガ・ゲーム=ヲタク=キモい人間」だったので、マンガを描きたいなどとは絶対言えなかった。

 ・本音が言えない為故意に傷つける事は殆どなかった。故に「憎めない人」にはなっていたが、がどんどん多くなっていった。単なる「嘘吐き優等生」である。

 

中学生の頃、人を笑わせたいと思いコントを作ってみたり家では兄弟とラジオの真似事をして遊んでいました。

ゲームもないですし楽しくてやっていたんですけど、母親からは「頭がおかしい」とよく言われていました。 

 

 

Vol.4に続きます。