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Deepthink for tomorrow.

迷ってる、悩んでいる人へQronosの「机上の空論」 

幸せになる勇気はあるか? Vol.5

Vol.5です。

 

高校卒業後の私。精神との闘い

 

高校卒業後から色々あったにはあったのですが、その生活は高校の延長みたいなものだったので簡単に書いておきます。

 

高校卒業後、浪人をさせて貰えなかった私は「就職優先だ」と言われ、仙台の専門学校に通う事になりました。

学校は私の意志では決めていません。

マンガの事だけでなく哲学的な事だとか社会的な事を学びたいと思っていたのでどうしても大学に!と言ったのですが、ダメでした。

専門学校でいいか・・・という事にはなったのですが、

私が東京に拘りすぎた為、少しそこでも争いになりました。

「盛岡にも学べるところがあるぞ」なんて言われたのですが、地方なんかではダメだと思っていました。

(東京への憧れはありませんでしたが、どうせ就職できる会社が東京ばかりになるのなら、少しでも早く街に慣れてしまいたいという想いがありました。)

結局その間をとって仙台の学校になったのですが、半強制的に入学という事になったので納得はしていませんでしたね。

学科も私の嫌いな3DCGを扱う学科。嫌でした。

頑張って通うもゲーム・アニメ好きの人ばかりの環境に馴染めず。

周りの人間がオタクだろうがなんだろが、学食で一人になるというのは辛いものです。

割と頑張って話しかけたのですが、ある瞬間に

「このままで行ったら媚びたまま生きる事になりそう・・・・!」なんて思って、

そこからは教室で一人勉強してるフリをしながらカロリーメイトの毎日でしたね。

 

クラスメイト中には病んでいる人が多かったですねえ。

超アニメ好きか超ゲーム好きか病んでるか。

「どうして進学校出身でここに?」とよく聞かれましたが、

素直に答えるたびに「実は俺も、私も・・・・」と悩みを抱えている人がボロボロ出てくる。

ああネットで色々やってる人ってこんな感じなんだなぁ。

ただ、同じ穴のムジナみたいにされるのは辛かったすね。

自分は他の人とは違うと思っていましたから。

LINE交換しよ!悩みがあったら私に相談してと言って話しかけてきた女の子がいましたが、何も話しませんでしたね。

辛いよね。辛いよねと、傷を舐め合って生きる事が辛かったからです。

それよりだったら自分一人になっても生きられる方がいいと思ったのでした。 

それにその子はやたら精神薬に詳しい。

薬を否定する私からすれば、相談しても解決法が薬になるだろうという不安もあったのでそうしました。

 

しかし帰っても学生寮だったので生徒だらけでリラックスできない。

結局高校の時と同じように、ご飯が出るのにコンビニでご飯を大量に買って・・・という生活が始まりました。

そこからの流れは殆ど一緒。

休みすぎて、冬に休学するという事になって、実家に戻り、母親に連れられてクリニックへ行くことになりました。

高校の時、土壇場で進路を切り替え、ある程度やりたいことを理解してもらえたので、わざわざ人に隠す必要が無くなっていました。

高校の時に一回でも受診していればという後悔もあったので行くことにしました。

そういう意味では不幸中の幸いでしたね。

クリニックで何度か問診やテストをした結果。「神経衰弱」と診断されました。

衰弱していましたね。学校から私生活まで気を張って頑張りすぎました。高校の時と変わっていません。

薬を処方されましたが、何も信用していませんでした。

要は気持ちだと。そう思っていたので薬には頼りませんでした。

そこからどうしようかとなって、

何もする事無いなら時間を使って運転免許くらいとっておけと言われて通う事になりました。

最初はちょっと嫌だったんですけどね。

でも取得してからの運転は楽しかったですね。

家族と一緒だったし好きなところへ行けるので。

ただ、そこで楽しくなって「病が治った」と思い込んでしまった。

そのまま春になって私は「復学」を選択しました。

精神病になったのは学生寮が悪かったんだ。

ビジネスホテルをそのまま利用しているので、狭いし隣はビルで日も入ってこないし精神衛生上良くないという事で納得しておきました。

完全一人暮らしを希望した私でしたが、お金の問題と「お前朝起きないだろうし生活出来ないだろ。あんなに散らかして」と言われ却下されました。

という事で寮を日当たりの良いところに変えての復学に。

 

どこでも結局一緒でした。

日が入って来る事で、朝はそれなりに気持ちよく起きられましたが、大浴場が一緒という事でなんか色々ダメでした。

昔から友達と温泉に入る事にも抵抗があったんですよね。性的な悩みが大きかったです。

全て一緒でしたね。変わった事と言えばようやくお金を借りて自分用PCを買えたことくらいですかね。

ただ、PCがあるだけで勉強は全くでした。何にも出来なくなっていましたね。

留年したことで自分の方がちょっとだけCGを知っているからって事で図に乗って、

先を行かねばと思ってまた頑張っていましたし。

同じく交友関係もダメでしたし。

というか二年目のクラスの人間が酷かったですね。結構ダメな人間が多かった。

一番ひどかったのがゲームに40万くらい課金したという人ですね。

すごく太っていたんだけれどすぐに彼女が出来ていましたね。

それに取り巻きの中心人物的な存在でした。

だけれど、私より先に学校に来なくなりましたね。

私と何ら変わりません。

少し1年目より頑張ったつもりでしたが、ダメでした。

 

酷い事に出席番号2、3、4、5、6、が全員学校に来なくなりましたね。

自分もその中に入っていましたが、衝撃でしたね。こんな事あるんだ。

恐怖症は酷くなるばかりで何も解決しませんでした。

お金をかけて何にも得られませんでした。

かかったお金だけでも早く親に返したいですね。

 

すみません適当に書きすぎました。分かりにくいですね。

とにかく高校よりもっとダメだったという事だけ理解してください。

 

 

 死

 

私が高校一年生の頃のお話です。

1月2日。

親戚が大勢集まって子供たちがワイワイ遊んでいる中、

私は全校の前で発表するためのプレゼンテーション用スライドを一生懸命作っていました。

家にPCが無いので短大生の姉のPCを借りていました。

その姉は私より休みに余裕があるとの事で、大学の友人と泊りだと言って正月早々遊びに行っていました。

それを快く思っていなかった母親。いつもの事ですが、かなり怒っていました。

「もうあいつは家に入れない」

大学生になってもこんなに自由がないんだなと、私はガッカリしました。

 

我が家は言わば親戚が集まる「本家」でした。

父母は特にその辺が真面目なので、家の手伝いをせずに外で飲んでいる姉に激怒していたのでした。

姉も姉で、自分がやる事に口を出してくる親に対して恨みのような感情を持っているようで、昔からその事について文句を言っていましたね。

姉弟なのでその辺の愚痴はかなり話が合うんです。

姉は「感謝はしてるけど子供の事に介入しすぎ」と言っていました。

その頃の私はかなり同感でしたね。

なので私は手伝いを頼まれても姉を恨んだりはしていませんでした。

 

しばらく作業をしていると姉が帰って来たようです。

母はリビングを出て、帰ってきた姉に説教をする為に、待ち伏せをしました。

そして、離れた部屋へ姉を連行。

 

数十分後。母親と泣く姉がリビングに入ってきました。 

「おばあちゃんごめんなさい」という声が後ろから聞こえてきました。

酒を飲んで人の家に泊まったという事は前日メールで届いていたので

それを知ったおばあちゃんがとても姉の事を心配していたのでした。

おばあちゃんは寛容でした。分かればいい。そんな感じで姉の事を宥めていました。

姉は半べそのまま部屋に戻っていきました。

 

その後。作業を続ける私におばあちゃんは話しかけてきました。

「学校楽しいか?」

私は上手く行っていない事を隠すため、「うん、楽しい」と嘘を吐きました。

楽しいには楽しいですが、やはり何かが行き詰っているという感じがしていたので。

 

ただ、その隠した気持ちも、おばあちゃんに見透かされていたようでした。

「まんつ(まず)勉強でも何でもコツコツとやっていけば上手く行くからね。お茶っこ飲むか?」

気付けば4時間ほど休憩なしで作業していたことに気が付きました。

せっかくなのでお茶を淹れて貰いました。すこし甘かった。

その発表というのは、再生可能エネルギー発電に関する発表だったのですが、

おばあちゃんのその言葉のお陰で「塵も積もれば山となる発電」というものを思いつき、

シンプルながらこれが全校の前で大うけしました。

 

夜。子供達もいっぱいいるので一緒にはしゃぎつつ、正月番組を見ていました。

予定では明日下宿に戻る事になっていたので、今PCを借りられるうちにスライドを完成させる必要がありました。

「いとこ見送ったらまた始めるか」そう思っていると。

「Qronosちゃん、明日帰るの?」とおばあちゃんに聞かれました。

「うん 午後には帰るよ」

「じゃっ さ~い(これはしたり的な)お年玉あげられねっじゃ」

「いやあいいよまた今度で!」

「いや さ~い・・・・(姉)ちゃん、明日銀行開いてるか分かる?」

「うーん・・・いや3日だから うーん分かんないな開いてないかも」

「い~や・・・・・」

「いやいいよ!お父さんかお母さんに渡してくれるだけでも全然!俺は急いでないから」

「じゃぁ~・・・・ごめんねぇ・・・・」

 

 

翌日朝。

昨夜スライド完成の為2時くらいまで頑張っていたので、9時になってもスヤスヤ眠っておりました。

すると、中学生のいとこが私の身体を揺すって起こしてきました。

 

「Qronos君、朝だよ」

 

 

ではありませんでした。

 

「Qronos君起きて ・・・おばあちゃんが息してないって」

 

時刻は10時過ぎ。

なんて質の悪いジョークだと思いました。

一体どの親がこんな事言わせた!?

怒りかけていとこの顔を見たのですが・・・その表情からそれがどうも冗談ではない事が分かりました。

私は混乱していました。

部屋を出ると電話を掛けながら壁に手をつく叔父さんがいました。

「うん。おばあちゃん死んじゃった・・・(笑) え? おばあちゃん死んじゃった・・・(笑)」

叔父は半泣きでちょっと笑いながら悲しい事を言う人でした。

「おんばあちゃん」「おんばあちゃん」と寝室から父親の声。

完全に現実でした。

そこに私と同じように起こされ寝ぼけながらビックリしている姉が来ました。

私やいとこに目で何かを聞こうとしているようでした。

 

そこから寝室に入ったのですが・・・。

おばあちゃんが眠っていましたね。普通に寝ているようでした。

震災からまだ一年経っていませんでしたからあの写真のことがまだ頭にありました。

ただ、写真とはまた違う。スッと息を引き取った感じだったので生きている感じがするのです。生きているんじゃないのか。触ればすぐに分かると思いましたが、触れられませんでした。

姉は号泣しながら父とおばあちゃんを呼んでいる。

父はどこか映画っぽく、起きない母親を起こそうとしていた。

叔父は「はぁ。ダメ。完全に止まってら。うん。もうダメ。」と電話中。

中学生のいとこはかなり落ち込んだような雰囲気でした。

 

私はというと・・・何もしていませんでした。

泣いていなかった。ちょっと「悲しい」が分からなくなっていた。

ただ、その皆の様子を、意地悪して寝たふりをしているおばあちゃんを見つめていた。

 

数分後。母親に連絡をしろと言われ、私が連絡をしました。

「起きたらおばあちゃん息してなかったって・・・」

「はぁあ!!?・・・分かったとにかくすぐ戻るから あぁ~(ブツッ)」

確か母は小学生の弟のスキー練習について行っていた様な。

戻ってきた時、弟は可哀想なくらい大号泣をしていましたね。

自分がこんなにも涙が出ていないのに弟は純粋だなと思って見ていました。

母も涙目。自分が悪い人間のように思えてきました。

 

妹二人が別の場所でスキー練習に出ていたので、その二人を迎えに行くから一緒に来いと母に言われました。

その車中で母はこんな事を言っていました。

「失敗した・・・おかしいと思ってたんだ・・・やっぱ昨日のうちに無理してでも病院に連れて行けば良かった・・・」

 

おばあちゃんは明らかにいつもと違っていたそうです。

おばあちゃんは孫にお年玉をあげないおじいちゃんに怒っていたそう。

「なしてみんなさ あげねのすか」

おじいちゃんは万札しか持っていなかったのであげられなかったそう。

その夫にため息を吐いて、おばあちゃんは息子夫婦に借金をしてまで孫にお年玉をあげていたそう。

しかし、私のところで借りたお金が切れた。

自分の先が長くない事を知っていた。だからこそすぐにあげようと思ったが、私が翌日帰ってしまうからお年玉を用意できないという事であんなに焦っていたのだと。

その後おばあちゃんは珍しく大酒を飲んで酔っていたという。

それがおかしいと思ったのだと。かなり悔しそうに言っていました。

私はうん、うんと相槌を挟みながら、だまって外を見つめていました。

あれが最後の会話だったのです。

まだお年玉貰ってないよおばあちゃん。

 

おばあちゃんは糖尿病など様々な病気を患っていて寝る時に酸素マスクをしなければ寝られなかったそうだが、この日に限ってそれが外れていた。

朝になって父と叔父が皿を洗いながら、イビキをかいていない、静かすぎる母親の事が心配になったそう。

父が声を掛けて確認してみたら既に冷たくなっていたという事でした。

 

そこからはあっという間でしたね。

各々帰った親戚たちがまた集まっていて、泣いていて、来たばかりの子供たちは一度部屋にいてと言われて、子供をあやしながら兄妹と今朝の事を語って、リビングに呼ばれて皆で行くと消防の人が来ていて、AEDが「ショックは不要です」と言っていて、死亡診断書が書かれていて、何も知らずに戻ってきた子供たちが号泣していて、布団にくるまれたままおばあちゃんが部屋から運ばれて、 我々はピアノを移動させて、いつの間にかおばあちゃんは棺桶に入っていて、そのまま夜になって、大人は酔っぱらいながら話をしていて、おじいちゃんが一番酔っていて、思い出話に花が咲いて、おじいちゃんが下ネタを連発して、叔父がまた悲しく笑いながら「ばあさん、このじさま何とかしてくれ~」と言っていて、私は話しながら何となく自分が大人になりかけているような気がして、姉と二人で手紙を作って、翌日皆で雪かきをしながらふざけて、知り合いや知らない人がどんどん来て、姉が手紙を読んだが何を言っているのか分からないくらい号泣していて、おばあちゃんは詰め物や化粧をされていて、もっと小さいころは爆笑していた住職の「喝」を聞いても笑えなくて、「ああああおばあちゃんが納まっちゃった・・・・」と叔母がパニックになっていて、出棺して、「あっ!!あっ!!ダメ!!!ダメーーーー!!!!!!!」と叔母達が叔母の最後を惜しんで声を上げ、いつの間にか骨を拾っていた。

 

私は初七日を過ぎても泣かなかった。

素直に泣けないまま、本当の事を言えないまま、祖母と別れました。 

 

 

Vol.6に続きます。